ロックにこんにちは。みなさんは、ビジュアル系の音楽をいつも楽しんでいますか。
今回は日本のビジュアル系を築いた伝説の世界的ロックバンド、X JAPAN(エックスジャパン)についてご紹介します。
X JAPANの基本情報
X JAPANとは
活動期間 | 1982〜1997年、2007年〜 |
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V経カテゴリ | コテ系 |
音楽性 | ヘヴィメタル、スピードメタル、ハードロック |
所属事務所 | William Morris Endeavor Entertainment |
X JAPAN(エックスジャパン)は1982年に当時、高校生のYOSHIKIとToshIを中心に千葉県館山市で結成されました。結成当初は「X(エックス)」というバンド名で、1989年にメジャーデビューした後に1992年にX JAPANに改名しました。
その後、1997年9月22日に解散を発表し、同年12月31日にラストライブを開催し解散ます。その後、2007年10月22日に再結成しました。
当時、メイクをしたバンドが国民的な人気を得なかった日本の音楽シーンで、ド派手なメイクに逆立てた金髪、暴れるようなライブパフォーマンスが人気になり、「ビジュアル系」というジャンルを打ち立てました。
バンド名の由来
「X JAPAN」はもともと、バンド名が「X」でした。結成当初、最適なバンド名が浮かばなかったので、仮の名前で「X」とします。
後にYOSHIKIは「X」という文字は「数多くの可能性」という意味があるということが分かって、バンド名に「無限の可能性」「ジャンルにとらわれない」という意味を後付けします。
しかし、結成した頃には「X-RAY」というヘヴィメタルバンドがいたため、一時期、「エックス」というカタカナ表記になっています。
その後、世界進出に際して、アメリカにも「X」というバンドがいることが発覚して、1992年8月のHEATH加入発表と同時にX JAPANに改名します。
メンバー
現在のメンバーは以下の通りです。
- ボーカル:ToshI
- 上手ギター、バイオリン:SUGIZO
- 上手ギター:HIDE
- 下手ギター:PATA
- ベース:HEATH
- ドラム、ピアノ:YOSHIKI
メンバーの中でHIDEはすでに他界していますが、現在もメンバーとして存在し続けています。
また、インディーズだった頃は「大魔神五人組」という名前でパートチェンジバンドを組んでいました。
- ボーカル:HIDE(ロボ)
- ギター:TAIJI(ヒマラヤン五郎)
- ギター:YOSHIKI(ジョン)
- ベース:PATA(ゴンザレス書記長)
- ドラム:TOSHI(おちゃるちゃん)
ボーカル:ToshI
ToshIはボーカルです。千葉県の館山(たてやま)市出身で、生年月日は1965年10月10日で血液型はA型です。年齢は57歳です。身長は163cmです。
いつもサングラス姿がトレードマークで活動していますが、昔は派手な髪の金髪でした。
結成時はTOSHI名義で活動していましたが、2010年2月9日にToshIに改名しています。そして、2018年から「龍玄とし」をソロ活動の時にメインで使っています。特に「ToshI」か「龍玄とし」かのこだわりはないそうです。
1度目の改名は洗脳からの脱却を期に、2度目は「苗字があった方がいい」という理由で改名したと言われています。
また、ToshIとYOSHIKIは仲が良かったり悪かったりします。
もともと、TOSHIKIとは幼稚園からの幼なじみで、音楽の趣味が合ってバンドをしていました。しかし、90年代に活動していた時は完璧主義のYOSHIKIから尋常じゃないほどプレッシャーを感じながらToshIはレコーディングなどに励んでいました。
そして、ToshIはX JAPANの脱退を決意して、X JAPANの解散を引き起こします。その時にYOSHIKIは激怒して、以後は口を聞くこともなく絶縁します。そして、約10年後にX JAPANが再結成するという話が持ち上がり、ToshIはYOSHIKIに電話をします。
それから、またふたりは良好な関係になりますが、2018年ごろから再び、方向性の違いや事務所の契約問題でまた関係が悪化していると週刊誌に報じられています。
現在は、龍玄としとして、バラエティ番組に出演したり、コンサートを開いたりしています。
上手ギター:SUGIZO
SUGIZOは上手(客席から見て右)ギター、バイオリン担当です。SUGIZOは神奈川県の秦野(はだの)市出身で、生年月日は1969年7月8日で年齢は53歳です。
もともとLUNA SEAで活動していましたが、2009年5月1日にX JAPANに加入します。
SUGIZOがX JAPANに加入したことによって、X JAPANの音楽性が広がりました。特にバイオリンが弾けるアーティストが加わったことで、クラシックのアレンジが効くようになりました。
代表的なのは「紅」です。この曲の前奏では、SUGIZOの情緒溢れるバイオリンが聴こえてきます。
また、ESPからSUGIZOモデルのギターが販売されています。
上手ギター:HIDE
HIDEは上手(客席から見て右)ギター担当です。生年月日は1965年10月10日で、1998年5月2日に亡くなりました。33歳の若さでした。
現在でも現存のメンバーとして、ライブでは当時の映像を使ってスクリーン出演しています。現役時代は異彩を放ちながらギターを弾き、「Joker」「SADISTIC DESIRE」など多くの作品の作曲をしていました。
X JAPANが解散した後はソロ活動を成功させて、「ROCKET DIVE」「ピンクスパイダー」などといった名曲を生み出しました。
HIDEの本名は「松本秀人(まつもとひでと)」で身長は170cmのAB型です。また、HIDEモデルのギターがFERNANDES(フェルナンデス)から発売されています。そのほかにも、hideグッズは今でも人気のアイテムのひとつです。
HIDEの死因は謎で、俳優の三浦春馬(みうらはるま)と共通点も検証されていますが、自殺でないとも言われています。現在の墓は神奈川県の三浦霊園にあります。
下手ギター:PATA
PATAは下手(客席から見て左)ギター担当です。生年月日は1965年11月4日で、年齢は57歳です。PATAの本名は、石塚智明(いしづかともあき)で身長は168cmのB型です。
ステージ上での立ち回りから分かるように普段もマイペースな性格です。好物は酒とタバコです。また、大の巨人ファンで、巨人の試合結果がその日のパフォーマンスに影響しています。
また、2016年2月3日にPATAは大腸憩室炎、門脈血栓症の診断を受け、緊急入院していると発表されました。
大腸憩室炎とは大腸が外に飛び出て、この飛び出た部分が炎症を起こすことです。一方の門脈血栓症は肝臓近くの血管の中に血栓と呼ばれる塊ができてしまい、それが血管を塞ぐことです。体だけは大事にして欲しいですね。
ちょうどX JAPANがウェンブリー公演を控えている時でした。
PATAは集中治療室にて治療されていましたが、意識回復後に「ウェンブリーで死んでやる」とYOSHIKIに言いましたが、10月にPATAの容体は回復してX JAPANに復帰します。
ちなみにPATAの病気は酒とタバコが原因で発症してしまった可能性が高いです。
ベース:HEATH
HEATHはベース担当です。生年月日は1968年1月22日で年齢は55歳です。HEATHの本名は、森江博(もりえひろし)で身長は175cmのB型です。ギターのSUGIZOと同じ身長ですね。
メンバーの中で1番露出が少ない人物で、現在の動向が掴みにくいです。
2009年には脱退騒動を引き起こしましたが、現在は解決済みです。また、結婚しているかどうかはシークレットになっています。
ドラム:YOSHIKI
YOSHIKIはドラマー、ピアニスト、作詞作曲家です。日本でビジュアル系のジャンルを創設したとも言われている伝説の人物です。作詞をする時に別の名前の「白鳥瞳(しらとりひとみ)」「五十嵐美由姫(いがらしみゆき)」などを使います。
生年月日は1965年11月20日で、年齢は57歳です。YOSHIKIの本名は「林佳樹(はやしよしき)」で身長は175cmのB型です。また、ソロ活動では音楽活動を中心にさまざまなプロデュース業を行っています。
グッズのプロデュースにも力を入れていて、「Y by Yoshiki」というワインが人気です。
YOSHIKの性格は音楽のことになると完璧主義者になると言われていて、それ以外のファンと絡む場面では自由奔放な面もあって振れ幅が大きい人物です。
また、千葉県立安房(あわ)高等学校を卒業しています。YOSHIKIは独身です。しかしながら、彼女はいるという噂が流れています。しかし、日本人ではありません。ハリウッドの女優や香港に住むロシア人モデルが彼女だという噂もあります。
しかし、本人から発表されたわけではないので不確定です。ちなみに1994年にはフライデーに工藤静香(くどうしずか)と付き合っていたことがリークされています。
元メンバー
パート | 名前 | 活動時期 |
---|---|---|
ギター | TERRY | 1982-1985 |
ギター | TOMO | 1984-1985 |
ギター | EDDIE | 1985 |
ギター | HALLY | 1985 |
ギター | ZEN | 1985−1986 |
ギター | SATORU | 1986 |
ギター | ISAO | 1987 |
ベース | ATSUSHI | 1984-1985 |
ベース | HIKARU | 1985−1986 |
ベース | TAIJI | 1985, 1986-1992/01/07, 2010/08/14,15 |
X JAPANの音楽性
音楽性
X JAPANはYOSHIKIが作詞作曲した作品が多いため、YOSHIKIの世界観が反映されています。YOSHIKIは好きなアルバムにアイアン・メイデンの「鋼鉄の処女」「キラーズ」をあげています。特にパンクロックの部分が好きだったといいます。
そのほかにも、セックス・ピストルズ、ザ・クラッシュ、G.B.H.などをよく聴いていました。
また、X JAPANがスタジオに入る前に、YOSHIKIは通常、ギターやドラムなどすべての楽器の譜面を書いています。この点は他バンドと比べて珍しいです。
一方で、YOSHIKIのレコーディングはかなり厳しいことで知られています。楽曲のイメージを忠実に再現するため、ToshIは1曲のレコーディングで7~10トラックほど歌います。それをYOSHIKIが1番ベストなテイクを探して、完璧な作品を作り上げています。
たった少しのフレーズの完成に数時間かかることもあって、その姿はまさにプロフェッショナルです。また、この姿勢がToshIを道具のように使って、精神的に追い込んだということにもつながりました。
YOSHIKIの音楽性を主体にX JAPAN全体では、海外のメタルやハードロックの要素を混ぜつつ、クラシックとの融合をさせています。
いくつか曲を聴いて、音楽性を詳しく見てみましょう。
メタル系の代表曲は「Silent Jealousy」です。
テンポが早くて、これこそ美しいメタルの真骨頂です。
ハードロック系の代表曲は「WEEK END」です。
ライブでも定番曲で、荒削りのギターサウンドからハードロック感が出ています。
クラシック系では「Tears」です。
激しい演奏をするX JAPANが泣けるようなメロディと、情緒的なピアノの旋律を奏でてています。
他のメンバー作曲で有名な曲をいくつか見てみましょう。
hideが「Joker」というハードロックナンバーを作曲しています。
また、TAIJIも作曲していて、「Voiceless Screaming」というバラードはYOSHIKI作品とはまた違った流麗さがあります。
また、新しく加入したSUGIZOも「BENEATH THE SKIN」という曲の作曲をしています。LUNA SEA感が出ていますね。
X JAPANとしての音楽が後輩のビジュアル系バンドを中心に大きな影響を与えています。具体的なアーティストは以下の通りです。
- MIYAVI
- DIR EN GREY
- GALNERYUSのSYUとFumiya
- the GazettE
- Sadieのボーカリスト真緒
- LM.CのMaya
- FLOW
- DJ OZMA
- Deadmanのaie
- ScrewのJin
- DaizyStripper
- Versailles
- D
- DELUHIのLeda
- 12012の川内亨
- BABYMETAL
X JAPANの歌詞は「Uta-Net」などでご覧になってください。
影響
X JAPANのメンバーが影響を受けたのは以下のアーティストです。
ToshI | KISSなど |
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SUGIZO | Japan、布袋寅泰、YOUなど |
HIDE | The Damned、The stranglersなど |
PATA | KISS、リッチーブラックモアなど |
HEATH | Van Helenなど |
YOSHIKI | KISS、IRON MAIDENなど |
全体的に洋楽に影響を受けています。特にKISSの影響は強いですね。
ビジュアル
X JAPANはビジュアル系の元祖と言われています。現在は、黒を基調としたメイクや衣装で活動していますが、昔は全く違う見た目でした。
肩まである金髪のロングヘアを逆立てて、さらには白塗りのメイクをしていたこともありました。海外のロックバンドであるKISSをマネたものでしたが、当時としては衝撃的でした。この見た目と高い音楽センスが重なって、一世風靡しました。
ライブパフォーマンス
X JAPANのライブパフォーマンスはメイクと同様に年代によって全く違います。1980年代はライブハウスでシンバルにガソリンを注いで燃やしたり、YOSHIKIがドラムセットをめちゃくちゃに壊したりするなど、まさにやりたい放題でした。
しかし、近年ではYOSHIKIのヘルニアの影響もあって、パフォーマンスの激しさは控えめになります。
ライブの曲数は少なく、インターバルが多いです。その間に、メンバーのソロを挟んだり、ToshIを中心にアコースティックの弾き語りを行ったりしています。
これはYOSHIKIを休ませるためだと言われています。
また、ToshIの「暴れん坊将軍で行けよー!」「気合入れて行けー!」という掛け声は定番です。そして、ライブでの定番曲である「紅」を演奏する前には、「紅だー!」というセリフも盛り上がります。
X JAPANの活動
偉業
X JAPANは日本のビジュアル系を確立しました。
1980年代の日本で、派手なメイクと金髪を逆立てたヘアスタイルでインパクトを世間に与えたのはもちろん、派手なライブパフォーマンも話題になりました。
一方で、見た目にも劣らない高い音楽性が日本だけではなく、世界規模で評価されています。
他にも世界進出をしている日本のビジュアル系バンドはたくさんいますが、X JAPANはさらに早い段階で世界進出して、評価を得ています。
リーダーのYOSHIKIはアメリカを拠点に生活していることもあって、高い語学力も世界的評価に繋がったのでしょう。
結成秘話
YOSHIKIとToshIは幼稚園からの幼馴染みでした。そして、小学校高学年の時にアメリカのハードロックバンド「KISS」の話をするようになり、バンドを組みはじめます。
ふたりは当時小学6年生ながらも、1977年から1978年にかけてDYNAMITE(ダイナマイト)、中学校に進学後、1978年から1982年にかけてNOISE(ノイズ)というバンドを結成して活動します。当時、ToshIはギタリストでした。
また、主にレッド・ツェッペリン、UFO、レインボーなどのコピーをしていて、中学校の学校行事が初ライブでした。その後、当時のボーカルが、中学校の分割によって別の中学に編入します。それを機会にToshIがボーカルになります。
ふたりはその後、千葉県立安房高校に進学します。バンドは続けていましたが、進学に際して他のメンバーが脱退します。そして、ふたりが高校2年生だった1982年の夏に、他校のメンバーと一緒にXを結成します。
また、高校の文化祭にも出演します。「We are X」「I’LL KILL YOU」などを演奏していました。そして、高校卒業後に音楽大学に推薦で進学する予定だったYOSHIKIは、入試の1週間前に進学を辞めて音楽の道に進むことを決意します。
活動記録
結成初期
Xは1984年にToshIと結成時のメンバーのTERRYと共に活動拠点を東京に移します。その頃、ベース担当のATSUSHI、ギター担当のTOMOが加入します。上京後は人脈がゼロの状態で、メンバーを募集したり、ライブハウスを探したりします。
そして、1985年に準備を整えて、バンドとしての活動を本格的に開始します。同年6月、1stシングル「I’LL KILL YOU」をリリースします。そして、1986年にYOSHIKIは自主レーベル「エクスタシーレコード」を設立します。
そして、2ndシングル「オルガスム」を発売します。
この頃には、徐々に人気になっていましたが、YOSHIKIが1日十何時間も練習に費やすことをメンバーに強要したことから、挫折するメンバーが相継ぎます。メンバーの出入りが激しく、一瞬だけのメンバーも含めると20人以上が脱退と加入を繰り返しました。
そのため、YOSHIKIは、自分の方針に忠告をしてなおかつ、お互いの個性を認め合い、尊敬して成長し合えるメンバーを求めていました。
1986年に、一時期Xに加入していたTAIJIが1986年の年末に再加入します。そして、1987年ビクターから発売されたオムニバスアルバム「SKULL THRASH ZONE Vol.1」のレコーディングにPATAがサポートで参加します。
同年には、当時SAVER TIGERで活動していたHIDEを加入させます。この頃、HIDEはバンドを辞めて美容師になろうと思っていました。その後、当時のギターの事故によって、PATAが正式なメンバーとして加入します。
この頃のX JAPANの態度やライブは暴君そのものでした。ライブハウスでYOSHIKIがシンバルにガソリンを注いで燃やすなどのパフォーマンスをして、出禁になります。また、打ち上げの際には喧嘩をして、YOSHIKIはお店のブラックリスト入りします。
Xの悪名は相当で、HIDEの率いるSAVER TIGER、TAIJIが在籍したDEMENTIAと共に「関東三大粗大ゴミバンド」と呼ばれていました。
全国的な知名度の獲得
YOSHIKIは、「曲がよくても聴いてもらえなければ意味がない」と考えて、知名度の獲得を目指します。そして、バラエティ番組「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」の「ヘビメタコーナー」に出演します。
今では考えられないような、ステージ衣装で運動会を行ったり、爆音で寝起きどっきりを仕掛けたりするなど体を張っていました。また、狭い食堂の中で「オルガズム」を演奏するという「やしろ食堂ライブ」というコーナーは人気でした。
ヘヴィメタルバンドがテレビ出演することに、反感を持つ人も多かったのですが結果的にこの戦略は当たって有名になります。さらにそれだけではなく、ライブではオリジナル映像を収録したVHSを客に配布します。
さらには、冷蔵庫、電子レンジ、トラックなどを配布するアイデアもありました。そして、1988年4月に1stアルバム「Vanishing Vision」を発売します。発売1週間で初回プレス分1万枚を完売します。
それと並行して、メジャーレーベルとの契約交渉を行った結果、CBSソニーと契約します。ちなみに、他のレコード会社の社員はXのメンバーに対して態度が悪く、YOSHIKI以外のメンバーは怒っていました。
また、CBSソニーは契約金や契約期間などの条件が最も低く、メンバーから「絶対に売れてこいつらを見返してやる」という反骨心が生まれたといいます。
同時期の1988年7月19日に仙台のライブハウス「フォーラスモーニングムーン」で行われたライブで、「Xジャンプ」が誕生します。
ダブルアンコールで「X」を演奏していた時、サビでHIDEが突然ジャンプをして、観客にそれを煽ったのがきっかけではじまります。
ちなみに、この時にジャンプに応えたの観客は数人でしたが、HIDEを見たTAIJIが直後からジャンプをして、PATAもそれに乗っかります。初期段階では、ジャンプによって音ズレが発生していました。
メジャーデビューからTAIJI脱退
X JAPANは1989年4月21日2ndアルバム「BLUE BLOOD」でメジャーデビューします。週間オリコンチャートで初登場6位を記録します。当時としては60万枚の大ヒットでした。そして、6月にメンバーは海外に滞在してVIDEO撮影や曲作りをします。
そして、同年9月に「紅」をシングルとして発売します。同時期に音楽番組出演などに積極的に出演したことによって、さらに多くの人たちから認知度が高まります。しかし、音楽業界からは賛否両論の声もありました。
同年11月23日に渋谷公会堂のライブ中にYOSHIKIが倒れてライブの以後のスケジュールが延期されます。
これ以降、YOSHIKIは体に負担をかけながらドラミングをすることになります。また、Xは日本有線大賞新人賞・日本ゴールドディスク大賞などを受賞します。
1990年2月に初の日本武道館ライブを行います。同年11月に次のアルバムのレコーディングのために渡米します。レコーディング中に、YOSHIKIが頸椎椎間板ヘルニアを発症して、再びスケジュールが大幅に変更されます。
1991年6月にメンバーは帰国して、翌7月1日に3rdアルバム「Jealousy」をリリースします。週間オリコンチャートで1位を記録します。ツアー「Violence In Jealousy Tour 1991 〜夢の中にだけ生きて〜」を行い、8月23日には初の東京ドーム公演を果たします。
同時期、新宿の小田急ミロードに「X SHOP JEALOUSIX」を出店、「カップヌードルX味」を発売するなど、数々の話題を作りました。そして、年末には「第42回NHK紅白歌合戦」に出場します。
1992年1月5、6、7日には、日本人アーティスト初の東京ドーム3日間連続公演「破滅に向かって」を開催します。動員数は約12万人でした。1月31日の「ミュージックステーション」でビデオメッセージを通じて、ToshIがTAIJIの脱退を正式に発表します。
TAIJIの脱退には諸説あります。当初「音楽性とファッション性の違いから」と説明されていましたが、後にTAIJIは「YOSHIKIに直接脱退を迫られた」といいます。
「一部のスタッフがYOSHIKIに働きかけた」「YOSHIKIのドラムプレイに対して平気でダメ出しをする様になって、YOSHIKIとの間に軋轢が生じたから」などともTAIJIは振り返っています。
一方のYOSHIKIは「TAIJIのベースはXに必要だったが、YOSHIKIとTAIJIの間での約束をいとも簡単に破った」と言っています。
X JAPANに改名
Xは1992年4月20日付けでソニーとの契約が切れます。
Xは、1992年8月24日にニューヨークのロックフェラー・センターで記者会見を開きます。そこで、世界進出のためにアメリカのタイム・ワーナーと契約したことと、新しいベーシストとしてHEATHが加入することを発表します。
同時期に、アメリカでは同じ名前のバンド「X」が存在していたため、X JAPANに改名します。
日本では1993年12月24日に東京ベイNKホールで開催された「ミュージックステーションスーパーライブ93」に出演します。
同時期に「ART OF LIFE」のレコーディングに取り掛かります。デモテープは1990年夏には完成していましたが、ToshIのボーカル録りが難航していました。そして、1993年8月に作品化されます。
そして、メンバーのソロ活動が活発になります。ちなみに、X JAPAN自体のスケジュールと都合がつかなくなることもあって、リーダーであるYOSHIKIはイライラを募らせていました。
一方で、海外進出のために準備をしていましたが、ToshIの英語の発音が原因で、海外進出を断念します。また、長期のレコーディングでレコード会社との関係も悪化します。YOSHIKIは愛車のフェラーリを売却して、そのお金でレコーディングを行います。
しかし、レコーディングに経費と時間がかかりすぎたため、できた作品をシングルとしてリリースします。また、YOSHIKIはヘルニアの影響でテンポの早い曲のレコーディングを諦めます。
そして、1995年11月、全国ツアー「DAHLIA TOUR 1995-1996」を行います。しかし、1996年3月13日、名古屋公演1日目にYOSHIKIがライブ中に椎間板ヘルニアを再発します。その結果、ツアーは中止されます。
その後、1996年11月4日に最後のオリジナルアルバム「DAHLIA」を発売します。しかし、アルバムは全10曲中6曲がシングルとしてリリースされていました。また、この頃からToshIはX JAPANの存在と活動に息苦しさを感じるようになります。
同年12月に「DAHLIA TOUR 1995-1996」のツアーファイナルとして「DAHLIA TOUR FINAL」を東京ドームで開催します。
解散
1997年4月に「音楽性と方向性の違い」が理由でToshIが脱退します。後任のボーカルがいなかったので、9月22日に記者会見を開いてX JAPANの解散を発表します。その後、「ファンに対するけじめのライブをしよう」とHIDEがYOSHIKIを説得します。
ToshIも参加して、1997年12月31日に東京ドームでラストライブ「THE LAST LIVE〜最後の夜〜」を開催します。そして、コンサート終了後に第48回NHK紅白歌合戦」に出演して解散します。
その後、残ったメンバーは2000年に新たなボーカリストを迎えて再結成することを考えていました。HIDEは、hide with Spread Beaver名義で活動を始めますが、1998年5月2日に亡くなります。
その後もライブDVDの販売などが続きます。表立った活動をしていなくても、作品はリメイクなどをされて生き続けました。
たとえば、韓国では、映画「僕の彼女を紹介します」の挿入歌として「Tears」が使われて、日本文化解禁後の韓国映画で初の日本語楽曲使用となります。
一方で、ToshIの洗脳疑惑騒動などのニュースが飛び交います。YOSHIKIはHIDEの死にショックを受けて、アメリカでViolet UKなどの活動を行います。
再結成
2007年頃、X JAPANのかつてのマネージメント事務所の社長がToshIのライヴ会場に何度も足を運び、ToshIに再結成を呼びかけます。しかし、ToshIは否定的でした。
しかし、何度も来られたため、YOSHIKIに確認して、ロサンゼルスのYOSHIKIのスタジオを訪ね、およそ10年ぶりに共に演奏を行います。その時に一緒に演奏した楽曲は「Without you」でした。
同年10月18日、公式ホームページで活動再開が正式に発表されます。
10月22日に東京都港区台場のアクアシティお台場屋上で、新曲「I.V.」のMVの公開撮影を行います。「HIDEも世界に連れて行く」という意味を込めてHIDEの立ち位置にマイク・スタンドとギターを設置します。
また、HIDEのギター音をデジタル加工して使用していました。
「I.V.」は2008年1月23日にリリースされ、ハリウッド映画「SAW4」のメインテーマソングとして採用されます。
しかし、この頃のメンバーの心境は明るいものではありませんでした。YOSHIKIは「X JAPANに終止符を打つための再結成で、長期間の活動はしない」とインタビューで語ります。
また、HIDEの後任のギタリストはあくまでもゲストという扱いで、Toshlとの確執が完全に解消されたわけではないとも述べました。一方のToshIも「X JAPANと並行して、癒しの音楽もやっていきたい」と発言します。
そして、2008年3月28日、29日、30日にコンサート「X JAPAN 攻撃再開 2008 I.V. 〜破滅に向かって〜」を東京ドームで開催します。当日のライブではステージやモニタにHIDEの映像も映し出されます。
そして、2008年5月3日、4日にHIDEの追悼ライブ「hide memorial summit」が開催されます。LUNA SEA、T.M.Revolution、DIR EN GREY、マキシマムザホルモンなど有名なバンドが出演します。
X JAPANは2日目に出演し、「Without You」、hideの「ピンクスパイダー」を演奏します。
また、LUNA SEAのメンバーとLUNA SEAの楽曲「BELIEVE」を共演します。同年、12月31日には赤坂BLITZでカウントダウンライブ「X JAPAN COUNTDOWN GIG 〜初心に帰って〜」を開催します。
一方で、パリやアメリカ等でツアーも予定していましたが、YOSHIKIの体調不良で中止になります。
SUGIZO加入、TAIJI死亡
2009年1月16、17日に初めての海外公演「X JAPAN WORLD TOUR LIVE IN HONG KONG」を開催し、2日間で2万人を動員します。この頃、HEATHの脱退騒動が起こり、ツアースケジュールも変更されますが、結局落ち着きます。
また、同年5月1日に、再結成公演以来サポートメンバーだったSUGIZOが「6人目のメンバー」として正式に加入します。5月2、3日に東京ドーム公演「X JAPAN WORLD TOUR Live in TOKYO 〜攻撃続行中〜」を開催します。
「JADE」が初めて演奏されて、SUGIZOがバイオリンを披露します。その後、5月30日には台北で公演します。しかし、YOSHIKIが頸椎椎間板ヘルニアの手術を行うため、その後のツアースケジュールも再び延期されます。
そして、8月22日にフィルム・コンサート「X JAPAN FILM GIG 〜鈴鹿の夜〜」が鈴鹿サーキットで開催されて、YOSHIKIとToshIがサプライズ出演します。
2010年1月6日から14日にかけて、ロサンゼルスにてMVの撮影が行われます。総制作費は5億円をにもなり、「I.V.」「JADE」などの新曲に加えて「Rusty Nail」「紅」「ENDLESS RAIN」などの撮影も行います。
この様子はDVD「X JAPAN Showcase in L.A.」に収録され、パチンコ店限定でリリースされます。また、ToshIは2009年10月に肋間神経痛になって、全く声が出せない状態でした。しかし、この撮影をきっかけに声を取り戻します。
また、同時期にToshIは記者会見を行います。自己破産申請、離婚調停、ソロ活動でパートナーであったMASAYAとの決別などを告白などを発表して、自身の名前を「TOSHI」から「Toshl」に変更しました。
2010年の8月にかけてアメリカのシカゴでロックフェスティバル「ロラパルーザ」のメインステージに出演します。
また、8月14、15日に、横浜国際総合競技場で「X JAPAN WORLD TOUR Live in YOKOHAMA 超強行突破 七転八起 〜世界に向かって〜」を開催します。
このステージではTAIJIが出演して、ダブルベースで「X」を披露しました。1992年の東京ドーム公演以来、18年ぶりの共演でした。終演後はメンバーと抱擁を交わします。しかし、TAIJIは翌2011年7月17日に急逝してしまい、最後の共演となりました。
2011年3月6日に国立代々木体育館にて行われたYOSHIKIプロデュースのファッションイベント「ASIA GIRLS EXPROSION」にX JAPANとして出演します。
5月27日には映画「手塚治虫のブッダ -赤い砂漠よ美しく-」の主題歌である「Scarlet Love Song」を配信リリースします。
同年6月28日、「JADE」を配信リリースし、ヨーロッパ、日本、南米、東南アジアを廻る2011年ワールド・ツアーがロンドンからスタートします。
また、同年の8月13日の舞洲サマーソニック大阪特設会場、14日の千葉・QVCマリンフィールドで開催されたロックフェスティバル「SUMMER SONIC 2011」に出演します。2週間後の野外ライブツアー「a-nation」にも出演します。
その後、南米ツアー「X JAPAN WORLD TOUR Live 2011 South American Tour」、東南アジアツアー「X JAPAN WORLD TOUR Live 2011 Southeast Asian Tour」を行います。
現在まで
2012年4月11日アメリカの「第4回ゴールデン・ゴッズ・アワード」にアジアのバンドとして初ノミネートされて、ベスト・インターナショナル・バンド賞を受賞します。
2013年5月20日に東京・デックス東京ビーチ内の施設「マダム・タッソー東京」にてX JAPANの等身大フィギュアお披露目式が開催されます。
2014年4月29日にYOSHIKIのソロワールドツアー「YOSHIKI CLASSICAL WORLD TOUR」コスタメサ公演を行い、Toshlもゲストとして参加します。同年8月17日、国内で初めてゲリラライブを東京・新宿ステーションスクエアで行います。
また、「聖闘士星矢 LEGEND of SANCTUARY」の主題歌「HERO」のX JAPANバージョンを披露し、ミュージックビデオの撮影を行います。
そして、2014年9月30日、10月1日の2日間、ワンマンライブを横浜アリーナで行います。2日間で2万2千枚用意されたプラチナ・チケットは1秒でソールドアウトします。
2014年10月12日には、ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンでコンサートを開催します。1万5千人のファンが集まって、アジア単独アーティストとしては最高記録となりました。
同年、12月26日に音楽番組「MUSIC STATION SUPER LIVE 2014」に出演します。そして、2015年6月27日に幕張メッセで開催されたLUNA SEA初の主宰ロックフェス「LUNATIC FEST. 」に出演します。
また、同年の11月28日、宮城県石巻市のライブハウス「石巻ブルーレジスタンス」で日本ツアーの初日公演を兼ねた、東日本大震災復興支援チャリティーコンサートを開催します。
キャパ150人のうち、75人は石巻市・東松島市・女川町の住民を対象にした無料招待枠でした。残り半数は「ヤフオク!」でチャリティーオークションに出品して、落札額は被災地支援の寄付金となり、最高落札額は120万円を超えました。
2015年12月25日、「MUSIC STATION SUPER LIVE 2015」出演。22年ぶりに「X」を披露し、12月31日にNHK紅白歌合戦出演して「紅白スペシャルメドレー 〜 We are X ! 〜」を披露します。
2016年に入り、ドキュメンタリー映画「We Are X」が、第32回サンダンス映画祭のワールドシネマドキュメンタリー部門にノミネートされ、最優秀編集賞を受賞します。1月23日に米国のユタ州でワールドプレミア上映されます。
同年2月3日、PATAが大腸憩室炎および門脈血栓症のため入院して、一時活動休止します。そして、10月14日から10月16日にかけて「VISUAL JAPAN SUMMIT 2016」を開催します。
2016年12月23日に「MUSIC STATION SUPER LIVE 2016」に出演して、「Silent Jealousy」を披露します。また、12月31日にNHK紅白歌合戦に出演して「紅」を演奏します。
2017年3月3日、ドキュメンタリー映画「We Are X」が日本で公開されます。また、3月4日にイギリス、ロンドンのウェンブリー・アリーナ公演を行います。
2017年7月 「X JAPAN WORLD TOUR 2017 WE ARE X Acoustic Special Miracle〜奇跡の夜〜 6DAYS」を大阪と横浜で公演を行います。
12月31日に第68回NHK紅白歌合戦に出場して「ENDLESS RAIN」と「紅」を披露します。
2018年4月10日、11日にZepp DiverCityで「XJAPAN復活10周年記念 XJAPANLIVE2018 アメリカフェス出演直前 PREMIUM GIGS 〜YOSHIKI復活の夜〜」を開催します。
同年4月14日、21日にアメリカ・カリフォルニア州インディオで開催された野外ロックフェスティバル「Coachella 2018」に出演します。実はビヨンセも同時間帯に出演しており、「ロック VS ポップス」の戦いだとして関心が高かったのです。
結果的に、アメリカのメディアはX JAPANのステージを大絶賛して大成功に終わりました。また、7月17日に「テレビ朝日ドリームフェスティバル2018」の9月15日の公演に出演します。
2018年9月28から30日にかけて、幕張メッセで「X JAPAN Live 日本公演 2018〜紅に染まった夜〜 Makuhari Messe 3Days」を開催します。
いくつかの楽曲はキーを下げて演奏されます。また、台風の影響によって、30日のライブは無観客で行われ、WOWWOWのオンデマンドで放送されました。
X JAPANの音源
人気曲
X JAPANには名曲がたくさんありますが、本サイトでは独自の人気曲調査を行いました。その中からトップ3を見てみましょう。
第1位:紅
「紅」は1989年9月1日発売の3rdシングルです。1989年日本有線大賞の最優秀新人賞受賞曲で、1992年の「第43回NHK紅白歌合戦」でも演奏されました。また、週間オリコンチャート5位を記録しました。
高校野球の応援歌としても使われていますね。全てにおいて完成度の高い楽曲です。
1989年4月21日発売の2ndアルバム「BLUE BLOOD」に収録されています。
第2位:Forever Love
「Forever Love」 は1996年7月8日発売の14thシングルです。週間オリコンチャートで1位を記録しました。小泉純一郎(こいずみじゅんいちろう)が大好きな曲で、X JAPANの代表的なバラードです。
1996年11月4日発売の4thアルバム「DAHLIA」 に収録されています。
第3位:ENDLESS RAIN
「ENDLESS RAIN」は1989年12月1日発売の4thシングルです。週間オリコンチャートで3位を記録しました。バラードですが、ライブではみんなで叫ぶようにして歌うのが定番です。
1989年4月21日発売の2ndアルバム「BLUE BLOOD」に収録されています。
X JAPANのエピソード
アルバムはいつ出るの?
X JAPANが再結成してから、新しいアルバムが発売されると言われています。YOSHIKIも「9割完成」と言って期待が高まっていますが、メディアに出るたび「もうすぐ出る」と噂されています。しかし、発売されていないのが現実です。
この背景はX JAPANのコアなファンな方ならご存知だと思いますが、YOSHIKIはかなりの完璧主義で、レコーディングでは何テイクも重ねて、究極の1音を探します。ToshIが道具のように扱われて脱退の原因にもなりました。
また、96年にアルバム「DAHLIA」を発売した時も、かなりの制作時間がかかってレコード会社を怒らせて、YOSHIKIは製作費捻出のためにフェラーリを売ったほどです。
このことから分かるように、発売間近に「まだ行ける」と手直しをした結果、永遠に試行錯誤を重ねているのではないでしょうか。また、再結成後はHIDEがいないので、HIDEの音を再現するのにも時間がかかっているはずです。
一方で、バラエティに出演したり、ソロ活動を行ったりするToshIとYOSHIKIの不仲説も再び囁かれていますね。この辺りが改善して、YOSHIKIが納得いった時に発売になるでしょう。
「なぜ?」「いつ?」といった疑問の裏にはいくつかの事情があるのです。
アニソン
実はX JAPANの楽曲はアニメの主題歌にもなっています。
1996年7月8日発売の14thシングル「Forever Love」はアニメ映画「X」の主題歌になりました。また、 2011年5月27日に配信されたシングル「Scarlet Love Song」はアニメ映画「手塚治虫のブッダ -赤い砂漠よ!美しく-」の主題歌でした。
X JAPANのイメージからすると、アニソンを歌っているのは意外ですね。
TAIJIの脱退理由
脱退エピソード
TAIJIは1992年1月の3日間連続の東京ドーム公演を最後にXを脱退しました。実際には脱退が決定したのは1991年の大晦日の紅白歌合戦の後だと、ドラムのYOSHIKIが後に語っています。
TAIJI脱退の表向きの理由は「音楽性の違い」でした。しかし、これは本当は違うのではないかとファンの間では言われています。
TAIJI側は後に自著の中で「バンド内の収入格差に文句を言ったり、YOSHIKIのドラムにダメ出しをしたりしたことで不仲になってしまった」と言っています。
一方のYOSHIKIは自著やテレビで「TAIJIは約束を破ってしまった」と言っています。見事に食い違いがあります。YOSHIKIがテレビでTAIJIの脱退について発言している時は、言葉を濁して言葉選びもかなり慎重だったのが伝わってきました。
脱退時期にTAIJIはLOUDNESSのオーディションを受けていて、それがYOSHIKI的には気に入らなかったという説もありますが、一方でYOSHIKIは「TAIJIはXに必要だった」と言っています。
それ以前にもYOSHIKIはTAIJIの要求でギタリストをクビにしたことを考えると、オーディションの一件は目を瞑れる範囲だったのではないでしょうか。
しかし、YOSHIKIがTAIIJIにクビを告げた時には取っ組み合いの喧嘩になったので、おそらく両方が自分の信念を曲げずに正しいと思っていたのが伝わります。
ファンの間で囁かれる本当の脱退理由
ファンの間で一般的になっているのが、TAIJIの薬物による脱退です。当時のXはアメリカのロサンゼルスでレコーディングをしていました。レコーディングはかなり長期で環境に耐えきれないメンバーもいたようです。
後に「ちょっと休暇ができると日本に帰るメンバーもいた」とYOSHIKIも言っています。その辛さやロサンゼルスの環境を考えるとTAIJIが薬物に手を出したのではないかと囁かれているのです。
YOSHIKIはロサンゼルスにいる間だけは許していたという噂もありますが、一方で日本に帰国しても薬物依存から抜け出せないメンバーがいた噂もあります。それがひょっとしたらTAIJIではないかという見方があるのです。
TAIJIの自伝が本当ならば、中学時代にシンナーを吸っています。その延長で薬物を断ちきれなかったのかもしれません。
なぜ真実は明らかにならないのか
この脱退理由については今も真実は分かりません。TAIJIはすでに亡くなっていますし、YOSHIKIは「約束を破った」としか言っていません。もし、薬物が事実だったとしてもTAIJIの面子を守るためYOSHIKIはこれから先も口を割ることはないでしょう。
TAIJIを失った悲しみの方が大きいはずですし、TAIJIとは何より和解しています。今さら真実を言って過去のメンバーの非を語るYOSHIKIの姿はファンも見たくないでしょう。YOSHIKIがそこまでしっかり考えているのが伝わってきます。
ファンとしてもあまり深く触れずにソッとしておいた方がいいのかもしれません。
HIDEの死
死因
HIDEは1998年5月2日に死亡しました。死因については正確なことは分かっていません。
HIDEは5月1日に音楽番組の収録をしていました。その後、打ち上げをして泥酔状態になったHIDEを弟でマネージャーの裕士が車で自宅に送りました。
しかし、HIDEは5月2日の朝7時30分頃寝室のドアノブに掛けたタオルに首を吊った状態で発見されました。その後、病院に搬送されますが、死亡が確認されます。
HIDEの自殺だと警視庁は断定していますが、弟の裕士はこれを否定しています。理由はHIDEは肩こりに悩んでいてストレッチを行っており、いつものようにストレッチを行っていたが泥酔状態だったため事故を起こしたのではないかと主張しています。
後にYOSHIKIも「HIDEは自殺するような人間ではない」とコメントしています。
HIDEが死亡してからファンが後追いで自殺する人も多くいて、一時期は大変な騒ぎになりました。葬式は築地本願寺で行われて、約5万人が集まりました。現在の墓は神奈川県の三浦霊園にあります。
葬式
HIDEは1998年5月2日に他界しますが、この時、X JAPANのメンバーは解散して心もバラバラでした。
葬式ではYOSHIKIの他に、洗脳されていたToshI、ホームレスだったTAIJIが集まりました。そこで「Forever Love」が演奏されましたが、YOSHIKIとToshIの溝は残ったままでした。
一方で、ホームレスだったTAIJIを見たYOSHIKIは、その姿に驚きTAIJIに200万円を渡します。TAIJIはその資金で入院します。そして、TAIJIは他の人々の助けもあり音楽活動を再開するようになります。
このHIDEの死で、メンバーの心がすぐに変わることはありませんでしたが、再結成後にも大きな影響を与えているのは間違いありません。
ToshIの洗脳騒動
洗脳の始まり
1997年8月、元妻の守谷香(もりたにかおり)が宗教団体のセミナーにToshIを連れて行きます。そこでToshIを洗脳した張本人のMASAYAに出会います。そこはコンサート会場で、MASAYAは歌を歌っていました。
セミナーの全員が感動して涙を流していましたが、ToshIは「変だな」と思う一方、自分だけが感動していないのはおかしいと感じたそうです。
その後、ToshIは別のセミナー参加の同意書などにサインをして団体と契約します。参加費だけで1人7万円でした。このセミナーも怪しい講習ばかりでしたが、ToshIは興味を持つようになります。
ちなみに、この時のセミナー参加者はほぼ全員スタッフで仕組まれたものです。
TOSHIはこのセミナーで、「幼い頃から虐待を受けた」「X JAPANは悪」という記憶のすり替えをさせられます。洗脳から解けた後に、「10ヶ月で貯金がなくなるくらいお金をセミナーにつぎ込んでいた」と言っています。
1997年12月31日の解散ライブでは、ToshIは洗脳されて精神状態が歪んだままステージに立ちました。ステージングのぎこちなさはHIDEに助けられて、ToshIは公演をやり遂げることができました。
しかし、1998年の5月にはHIDEが亡くなります。これを機にさらに宗教団体「ホームオブハート」の締め付けが激しくなって地獄のような日々を過ごすことになるのでした。
洗脳からの脱却
ToshIの洗脳は2009年まで続きますが、洗脳を止められるきっかけになったのはX JAPANの再結成です。X JAPANの再結成にあたって、3億円がギャラとして入ることになっていました。
それまで、団体側は「X JAPANは悪だ」と言っていたのにも関わらず、お金の額面を聞いて再結成をToshIに促します。ここでToshIは不信感を抱きました。結果的に再結成をすることになりますが、ToshIにそのお金は入らず生活費は1日500円だったと言います。
昔の知り合いなどの助けもあって、なんとか施設から逃亡して洗脳を解くことができました。
現在ではこの洗脳の話を公に語っています。特に「中居正広の金曜日のスマイルたちへ」に出演した時はこの事について包み隠さず語っていました。ちなみに洗脳の話は本にもなっています。
まとめ
今回はX JAPANについてご紹介しました。謎の多いビジュアル系ですが、バンドの経歴や作品を通して歴史を知ると、もっとX JAPANが好きになりますね。
ぜひ、参考にしてみてください。
X JAPANの最新情報は以下のサイトでチェックできます。
シングル
順番 | 発売日 | タイトル |
---|---|---|
1st | 1985年6月15日 | I’LL KILL YOU |
2nd | 1986年4月20日 | オルガスム |
3rd | 1989年9月1日 | 紅 |
4th | 1989年12月1日 | ENDLESS RAIN |
5th | 1990年4月21日 | WEEK END |
6th | 1991年9月11日 | Silent Jealousy |
7th | 1991年10月25日 | Standing Sex/Joker |
8th | 1991年12月1日 | Say Anything |
9th | 1993年11月10日 | Tears |
10th | 1994年7月10日 | Rusty Nail |
11th | 1995年8月1日 | Longing 〜跡切れたmelody〜 |
12th | 1995年12月11日 | Longing 〜切望の夜〜 |
13th | 1996年2月26日 | DAHLIA |
14th | 1996年7月8日 | Forever Love |
15th | 1996年8月26日 | CRUCIFY MY LOVE |
16th | 1996年11月18日 | SCARS |
ー | 1997年12月18日 | Forever Love (Last Mix) |
17th | 1998年3月18日 | THE LAST SONG |
18th | 2008年1月23日 | I.V. |
19th | 2011年6月8日 | Scarlet Love Song -BUDDHA Mix- |
20th | 2011年6月28日 | JADE |
21st | 2015年11月6日 | BORN TO BE FREE |
アルバム
順番 | 発売日 | タイトル |
---|---|---|
1st | 1988年4月14日 | Vanishing Vision |
2nd | 1989年4月21日 | BLUE BLOOD |
3rd | 1991年7月1日 | Jealousy |
4th | 1993年8月25日 | ART OF LIFE |
5th | 1996年11月4日 | DAHLIA |
ライブアルバム
順番 | 発売日 | タイトル |
---|---|---|
1st | 1995年1月1日 | 破滅に向かって (CD EDITION) 1992.1.7 TOKYO DOME LIVE |
2nd | 1997年10月15日 | LIVE LIVE LIVE TOKYO DOME 1993-1996 |
3rd | 1997年11月5日 | Live Live Live Extra |
4th | 1998年1月21日 | LIVE IN HOKKAIDO 1995.12.4 BOOTLEG |
5th | 1998年3月18日 | Art of life live |
6th | 2001年5月30日 | The Last Live |
ベストアルバム
順番 | 発売日 | タイトル |
---|---|---|
1st | 1993年11月21日 | X SINGLES |
2nd | 1996年3月21日 | B.O.X 〜Best of X〜 |
3rd | 1997年12月19日 | BALLAD COLLECTION |
4th | 1997年12月25日 | Singles 〜Atlantic Years〜 |
5th | 1999年1月30日 | STAR BOX |
6th | 1999年2月24日 | PERFECT BEST |
7th | 2001年12月19日 | X JAPAN BEST 〜FAN’S SELECTION〜 |
8th | 2014年6月17日 | THE WORLD 〜X JAPAN 初の全世界ベスト〜 |
映像作品
発売日 | タイトル |
---|---|
1988年8月 | XCLAMATION |
1989年6月1日 | BLUE BLOOD TOUR 爆発寸前GIG |
1989年12月31日 | 刺激! VISUAL SHOCK Vol. 2 |
1990年9月1日 | VISUAL SHOCK Vol. 2.5 CELEBRATION |
1991年9月30日 | VISUAL SHOCK Vol. 3 刺激² -夢の中にだけ生きて- |
1991年12月21日 | VISUAL SHOCK Vol. 3.5 Say Anything |
1992年11月1日 | VISUAL SHOCK Vol. 4 破滅に向かって |
1995年1月1日 | X CLIPS |
1997年1月1日 | DAHLIA THE VIDEO VISUAL SHOCK #5 PART I |
1997年3月5日 | DAHLIA THE VIDEO VISUAL SHOCK #5 PART II |
1997年10月29日 | DAHLIA TOUR FINAL 1996 |
2001年10月24日 | X JAPAN CLIPS II |
2002年3月29日 | THE LAST LIVE VIDEO |
2003年9月24日 | ART OF LIFE – 1993.12.31 TOKYO DOME |
2007年7月25日 | 青い夜 完全版 |
2007年7月25日 | 白い夜 完全版 |
2008年2月29日 | X JAPAN RETURNS 完全版 1993.12.30 |
2008年2月29日 | X JAPAN RETURNS 完全版 1993.12.31 |
2010年9月6日 | X JAPAN Showcase in L.A. Premium Prototype |
2011年10月26日 | The Last Live 完全版 |
2011年12月21日 | DAHLIA TOUR FINAL 完全版 |
ボックスセット
発売日 | タイトル |
---|---|
1996年3月21日 | B.O.X 〜Best of X〜 |
1997年12月25日 | Special Box |
1997年12月25日 | Single Box |
1998年10月24日 | Gold Disc Monument |
1998年10月24日 | Single System Organizer |
1998年10月24日 | Neo Max Gold Disc Version |
2005年10月1日 | X JAPAN COMPLETE II |
2007年7月25日 | 青い夜 白い夜 完全版 DVD-BOX |
2008年2月29日 | X JAPAN RETURNS 完全版 DVD-BOX |
2008年7月23日 | X VISUAL SHOCK DVD-BOX |
2011年10月26日 | X JAPAN THE LAST LIVE 完全版初回限定コレクターズBOX |
2011年12月21日 | X JAPAN DAHLIA TOUR FINAL 完全版初回限定コレクターズBOX |
ライブ
年 | タイトル | 公演規模・会場 |
---|---|---|
1982 | 千葉県立安房高校文化祭LIVE | 千葉県立安房高校 |
1983 | 千葉県立安房高校文化祭LIVE | 千葉県立安房高校 |
LIVE | 千葉県内 | |
1984 | LIVE | 東京都内 |
5TH JAPAN HEAVY METAL FANTASY | 5月27日 大阪野外音楽堂 | |
1985 | LIVE | 5会場全8公演 2月25日 神楽坂EXPLOSION |
TERRY&EDDIE LAST GIG [注 7] | 10月4日 神楽坂EXPLOSION | |
YOSHIKI BIRTHDAY GIG | 11月20日 目黒鹿鳴館 | |
LIVE [注 8] | 12月3日 目黒鹿鳴館 | |
1986 | LIVE | 4会場全4公演 1月10日 四谷FOUR VALLEY[注 9]
1月31日 神楽坂EXPLOSION |
「ORGASM」発売記念GIG | 2会場全2公演 4月10日 横浜7TH AVENUE | |
関西TOUR | 6会場全6公演 5月13日 大阪BAHAMA | |
LIVE | 6月5日 渋谷LA-MAMA 6月8日 国分寺MORGANA[注 10] 6月19日 目黒鹿鳴館 6月20日 浦和NARCISS 7月25日 神楽坂EXPLOSION 7月30日 筑波29BAR 8月2日 大阪布施CENSUS HALL 8月10日 松戸STAGE V 8月14日 目黒鹿鳴館 8月16日 函館あうん堂 8月18日 札幌STUDIO MESSE 8月20日 旭川STUDIO 9 8月23日 夕焼けまつり 9月5日 浦和NARCISS 9月9日 渋谷LA-MAMA 9月20日 浦和市民会館 10月6日 大阪布施CENCUS HALL 10月8日 大阪CANDY HALL 10月25日 目黒鹿鳴館[注 11] 11月6日 大阪SENCUS HALL 11月12日 目黒LIVE STATION | |
爆発寸前大暴れGIG [注 12] | 11月16日 目黒鹿鳴館 | |
LIVE | 11月24日 大宮FREAKS 12月29日 大阪CANDY HALL | |
ALL NIGHT GIG「SUPER-METAL REVOLUTION VOL.2-ROCK THROUGH THE NIGHT-」[注 13] | 12月30日 大阪CANDY HALL | |
1987 | 爆発寸前撮影GIG[注 14] | 4月10日 神楽坂EXPLOSION |
「SKULL THRASH ZONE」発売記念GIG | 2会場全2公演 4月14日 豊島公会堂 | |
INTERNATIONAL POPULAR MUSIC FESTIVAL BAND EXPLOSION ’87 | 6月7日 館山商工会館 | |
ONEMAN GIG | 7月25日 目黒LIVE STATION | |
Xclamation無料配布GIG | 2会場全2公演 8月6日 大阪BOURBON HOUSE | |
ROCK MONSTER AUGUST | 8月30日 スポーツバレー京都 | |
1987 WINK TOUR | 5会場全6公演 11月23日、24日 目黒鹿鳴館 | |
CBS/SONY AUDITION ’87 決戦大会 | 44191 | |
HEAVY METAL DAYS EXTRA | 12月23日 埼玉会館大ホール | |
DAYNAMITE YEAR END PARTY | 12月29日 目黒LIVE STATION | |
ALL NIGHT METAL PARTY ’87 to ’88 | 12月31日 目黒鹿鳴館 | |
1988 | ||
METAL INDIES 2 | 1月10日 中野公会堂 | |
VANISHING TOUR ’88 SPRING | 7会場全7公演 3月22日 豊橋かごやホール | |
VANISHING TOUR SPECIAL | 2会場全2公演 5月5日 東京中野公会堂 | |
VANISHING TOUR VOL.2 | 19会場全23公演 6月2日、3日 目黒鹿鳴館 | |
HEAVY METAL DAYS VOL.7 | 8月27日 埼玉会館 | |
X at SPORTS VALLEY KYOTO | 9月4日 スポーツバレー京都 | |
第1回 EXTASY SUMMIT | 9月30日 大阪BOURBON HOUSE | |
BURN OUT TOUR ’88 OCT. | 9会場全12公演 10月8日 大宮FREAKS’ | |
VIDEO CONCERT | 2会場全2公演 10月15日 熊本YELLOW STUDIO | |
EXTASY SUMMIT | 11月6日 目黒鹿鳴館 | |
STREET FIGHTING MEN | 11月12日 MZA有明 | |
ALL NIGHT METAL PARTY ’88 to ’89 | 12月31日 目黒鹿鳴館 | |
1989 | BLUE BLOOD TOUR | 14会場全14公演 3月13日 群馬県民会館小ホール |
MM CLUB | 3月17日 渋谷公会堂 | |
THE 4TH FLOWER FESTIVAL X COMIN HOME.帰って行くぜ!気合いを入れて待ってろよ! | 3月25日 館山FAMILY PARK | |
CLUB WONDERLAND | 3月29日 INK STICK芝浦Factory | |
5時SAT ROCK WAVE ’89 | 4月30日 ナガシマスパーランド ジャンボ海水プール特設ステージ | |
EXTASY SUMMIT VOL.II | 5月2日 目黒鹿鳴館 | |
BLUE BLOOD TOUR SPECIAL BIG GIG | 2会場全2公演 6月5日 愛知県勤労会館 | |
HEAVY METAL DAYS VOL.8 | 7月22日 埼玉会館 (シークレットゲスト) | |
JR東日本 POP ROCKETS ’89 | 7月30日 湯沢町中央公園野球場 | |
Kirin Sound TogetherPOP. HILL ’89 | 8月12日 石川県森林公園 | |
THE ROCK KIDS ’89 | 8月19日 富士急ハイランド・コニファーフォレスト | |
Rock’n roll Olympic’89 | 8月20日 スポーツランドSUGO | |
SECRET GIG 大魔神五人組 | 8月28日 大阪a.m.HALL | |
EXTASY SUMMIT in ClubHouse | 8月29日 目黒鹿鳴館 | |
ROCK MONSTER “X” SPECIAL | 9月17日 スポーツバレー京都 | |
EXTASY SUMMIT SPECIAL 〜場外乱闘篇〜 | 9月28日 渋谷公会堂 | |
ENFENT TERRIBLE 〜怖るべき子供達〜[注 15] | 12月3日 品川寺田倉庫F号 | |
EXTASY SUMMIT | 12月30日 目黒鹿鳴館 | |
1989 1990 | Rose & Blood Tour | 31会場全35公演 9月29日 浦和市民文化センター 1990年 |
1990 | 5時SAT ROCK WAVE ’90 | 4月29日 名古屋庄内緑地公園陸上競技場 |
LIVE TOMATO | 1会場全2公演 4月22日 川崎CLUB CITTA’ | |
1990 X FILM GIGS 〜血と薔薇にまみれて〜 | 1会場全2公演 12月8日、9日 東京ベイNKホール | |
1991 | X FILM GIGS 〜血と薔薇にまみれて〜 | 37会場全39公演 2月2日 青森市民文化会館 |
JT SUPER SOUND ’91 Have a Joyful Time | 7月31日 鬼首高原 仙台リゾートパーク・オニコウベ | |
CUP NOODLE 20th ANNIVERSARY HOT GIGS Violence In Jealousy Tour 1991 〜夢の中にだけ生きて〜 | 9会場全16公演 8月6日、8日 新潟市産業振興センター | |
X PRODUCE 〜何が起こるか分からない。Xがパワステを借り切った! | 1会場全3公演 10月17日 「Xと仲間達」 日清パワーステーション | |
EXTASY SUMMIT 1991 “無敵と書いてエクスタシーと読む。無謀と書いてYOSHIKIと読む。” | 10月29日 日本武道館 | |
SECRET GIG | 11月17日 渋谷EGG-MAN | |
X, 遂にフル・オーケストラと共演 X with オーケストラ | 12月8日 NHKホール | |
これで最後か!? Violence In Jealousy Tour 1991 Final FILM GIG SPECIAL | 12月20日 日本武道館 | |
ALL NIGHT METAL PARTY ’91 to ’92 | 12月31日 目黒鹿鳴館 | |
1992 | 東京ドーム3DAYS 〜破滅に向かって〜 | 1会場全3公演 1月5日 東京ドーム |
Fool’s MATE&Rockin On Japan Presents YOSHIKI TALK LIVEat 日本武道館 | 7月30日 日本武道館 | |
EXTASY FAN CLUB 無敵 PRESENTS EXTASY SUMMIT 1992みんな無名だった、だけど…無敵だった | 2会場全2公演 10月29日 大阪城ホール | |
1993 | LAWSON PRESENTS X JAPAN FILM GIGS 1993 〜VISUAL SHOCK 攻撃再開〜 | 全47公演 7月1日 調布市グリーンホール |
LAWSON SPECIAL X JAPAN FILM GIGS 〜VISUAL SHOCK 攻撃再開〜 | 7会場全7公演 9月24日 福岡サンパレス | |
MUSIC STATION Special SUPER LIVE93 | 12月24日 東京ベイNKホール | |
新型エックス第1弾 日本直撃カウントダウン X JAPAN RETURNS | 1会場全2公演 12月30日、31日 東京ドーム | |
1994 | GME ’94 〜21世紀への音楽遺産をめざして〜 AONIYOSHI | 1会場全3公演中2公演 5月21日、22日 東大寺大仏殿前庭 |
Act Against AIDS ’94 | 12月1日 恵比寿ザ・ガーデンホール | |
MUSIC STATION Special SUPER LIVE94(中継参加) | 12月30日 東京ベイNKホール | |
SEGA SATURN PRESENTS X JAPAN TOKYO DOME 2DAYS青い夜/白い夜 | 1会場全2公演 12月30日 「青い夜」 東京ドーム | |
1995 | X JAPAN PRESENTS KOBE RETURNS | 12月24日 大阪城ホール |
MUSIC STATION Special SUPER LIVE95 | 12月29日 東京ベイNKホール | |
1995 1996 | DAHLIA TOUR 1995-1996 | 7会場全11公演 11月29日 山形市総合スポーツセンター 1996年 |
1996 | 「Forever Love」発売記念七夕イベント | 7月7日 原宿 |
「HEY!HEY!HEY!」公開収録 | 12月14日 レモンスタジオ | |
Asia Live Super Concert Asian Dream | 12月16日 NHKホール | |
MUSIC STATION Special SUPER LIVE96 | 12月27日 東京ベイNKホール | |
DAHLIA TOUR FINAL 1996 TOKYO DOME 2DAYS | 1会場全2公演 12月30日 「復活の夜」 東京ドーム | |
1997 | MUSIC STATION Special SUPER LIVE97 | 12月26日 東京ベイNKホール |
THE LAST LIVE〜最後の夜〜 | 12月31日 東京ドーム | |
1998 | 故 hide儀 告別式 | 5月7日 築地本願寺 |
1999 | EXTASY RECORD新年会 | 2月4日 川崎CLUB CITTA’ |
2000 | EXTASY NIGHT VOL 1 | 11月16日 渋谷ON AIR EAST |
2002 | EXTASY NIGHT VOL 2 | 1月28日 原宿ASTRO HALL |
X JAPAN FILM GIG 〜X JAPANの軌跡〜 | 11会場全12公演 1月13日 大宮ソニックシティ | |
X JAPAN FILM GIG 〜X JAPANの軌跡〜 VERSION2 | 1会場全2公演 4月20日、21日 東京ベイNKホール | |
2003 | X JAPAN FILM GIG ’03 featuring ART OF LIFE | 9月21日 日本武道館 |
2007 | 「I.V.」PV撮影 | 10月22日 アクアシティお台場 |
2008 | TALK LIVE | 1月20日 タワーレコード渋谷店 |
X JAPAN 攻撃再開 2008 I.V. 〜破滅に向かって〜 | 1会場全3公演 3月28日 「破壊の夜」 東京ドーム | |
hide memorial summit | 5月4日 東京スタジアム(味の素スタジアム) | |
JAPAN EXPO 2008 | 7月5日 フランス ノールヴィルパント展示会場 | |
YOSHIKI Jewelry Secret Party 2008 | 12月26日 東京都内 | |
X JAPAN COUNTDOWN GIG 〜初心に帰って〜 | 12月31日 赤坂BLITZ | |
2009 | X JAPAN WORLD TOUR LIVE IN HONG KONG | 1会場全2公演 破壊の夜 Extra1月16日 香港 ASIA WORLD EXPO破壊の夜 in HONG KONG1月17日 香港 ASIA WORLD EXPO |
映画「レッド クリフⅡ」試写会 | 4月5日 東京ビッグサイト | |
X JAPAN WORLD TOUR Live in TOKYO 〜攻撃続行中〜 | 1会場全2公演 5月2日 「無敵な夜」 東京ドーム | |
X JAPAN WORLD TOUR Live in TAIPEI 「本当にやる夜」 | 5月30日 中華民国 臺北縣立板橋體育場 | |
X JAPAN FILM GIG 〜鈴鹿の夜〜 | 8月22日 鈴鹿サーキット | |
ヘルプ・アズ・ワン | 9月1日 アメリカ合衆国 ロサンゼルス | |
2010 | X JAPAN MUSIC VIDEO SHOOTING in Hollywood | 4会場全7公演 1月6日 アメリカ合衆国 L.A.センタースタジオ |
Toshl LAST CONCERT”武士JAPAN” | 2月24日 赤坂BLITZ | |
Anime in Chicago 2010 | 5月15日 アメリカ合衆国シカゴ | |
THE YOSHIKI FOUNDATION AMERICA KICKOFF PARTY | 7月1日 アメリカ合衆国クラブノキア | |
JAPAN EXPO 2010 | 7月4日 フランス ノールヴィルパント展示会場 | |
「FEVER X JAPAN」」プレミアム試打会 | 7月28日 東京ドームプリズムホール | |
ロラパルーザ 2010 | 8月8日 アメリカ合衆国グラント・パーク | |
X JAPAN WORLD TOUR Live in YOKOHAMA 超強行突破 七転八起 〜世界に向かって〜 | 1会場全2公演 8月14日 「再会の夜」 横浜国際総合競技場(日産スタジアム) | |
X JAPAN WORLD TOUR Live 2010 North American Tour | 7会場全7公演 9月25日 アメリカ合衆国ウィルターン・シアター | |
2011 | ASIA GIRLS EXPLOSION | 3月6日 国立代々木競技場第一体育館 |
X JAPAN WORLD TOUR Live 2011 European Tour | 4会場全4公演 6月28日 イギリスシェパーズ・ブッシュ・エンパイア | |
サマーソニック 2011 | 2会場全2公演 8月13日 舞洲サマーソニック大阪特設会場 | |
a-nation 10th Anniversary for Life Charge & Go! ウイダーinゼリー | 8月27日 東京スタジアム(味の素スタジアム) | |
X JAPAN WORLD TOUR Live 2011 South American Tour | 5会場全5公演 9月9日 チリTeatro Caupolican | |
X JAPAN WORLD TOUR Live 2011 Southeast Asian Tour | 5会場全5公演 10月28日 韓国オリンピック第1体育館 | |
2013 | X JAPAN×ニコ生SP~24 時間攻撃続行中~ YOSHIKI がニコファーレに降臨!!! | 9月27日 ニコファーレ 9月28日 ニコファーレ |
2014 | YOSHIKI CLASSICAL WORLD TOUR 2014 PART1 | 4月28日 アメリカ合衆国Davies Hall |
Otakon 2014 | 8月10日 アメリカ合衆国ボルチモア | |
ゲリラライブ | 8月17日 新宿ステーションスクエア | |
X JAPAN LIVE AT YOKOHAMA ARENA | 1会場全2公演 9月30日 横浜アリーナ | |
X JAPAN LIVE AT MADISON SQUARE GARDEN | 10月11日 マディソン・スクエア・ガーデン | |
MUSIC STATION SUPER LIVE 2014 | 12月26日 幕張メッセ | |
2015 | LUNATIC FEST. | 6月27日 幕張メッセ |
HYPER JAPAN Festival 2015 | 7月11日 イギリス Tobacco Dock | |
30年目突入!史上初の10時間SP MUSIC STATION ウルトラFES | 9月23日 テレビ朝日第1スタジオ | |
テレビ朝日ドリームフェスティバル2015 | 11月23日 国立代々木第一体育館 | |
X JAPAN JAPAN TOUR 2015 | 6会場全10公演 11月28日 石巻BLUE RESISTANCE | |
MUSIC STATION SUPER LIVE 2015 | 12月25日 幕張メッセ | |
2016 | VISUAL JAPAN SUMMIT 2016 | 1会場全3公演 10月14日 幕張メッセ |
SONGS収録観覧 | 12月3日 NHK101スタジオ | |
MUSIC STATION SUPER LIVE 2016 | 12月23日 幕張メッセ | |
2017 | WE ARE X ジャパンプレミア | 2月23日 TOHOシネマズ六本木ヒルズ |
X JAPAN LIVE 2017 at the WEMBLEY Arena in LONDON | 3月4日 イギリスウェンブリーアリーナ | |
X JAPAN WORLD TOUR 2017 WE ARE X Acoustic Special Miracle〜奇跡の夜〜 6DAYS | 2会場全6公演 7月11日 大阪城ホール | |
「WE ARE X」PREMIERE TOUR IN EUROPE 2017[注 17] | 10会場全10公演 10月12日 ドイツベルリン | |
NHK WORLD presents SONGS OF TOKYO | 11月26日 NHKホール | |
MUSIC STATION SUPER LIVE 2017 | 12月22日 幕張メッセ | |
一夜限りの『WE ARE X』’mas 上映会 | 12月25日 TOHO シネマズ 六本木ヒルズ | |
2018 | 「WE ARE X」PREMIERE TOUR IN RUSSIA 2018 | 2会場全2公演 1月29日 ロシアモスクワ |
XJAPAN復活10周年記念 XJAPANLIVE2018 アメリカフェス出演直前 PREMIUM GIGS 〜YOSHIKI復活の夜〜 | 1会場2公演 4月10日 Zepp Divercity | |
Coachella 2018 | 1会場6公演中2公演 4月14日 アメリカ合衆国コーチェラ・ヴァレー | |
テレビ朝日ドリームフェスティバル2018 | 1会場3公演中1公演 9月15日 幕張メッセ | |
X JAPAN Live 日本公演 2018〜紅に染まった夜〜 Makuhari Messe 3Days | 1会場全3公演 9月28日 幕張メッセ |