ロックにこんにちは。みなさんは、ビジュアル系の音楽をいつも楽しんでいますか。
MALICE MIZER(マリスミゼル)は1992年に結成されて以降、衣装や楽曲、ステージセットなどにこだわった世界観で多くのファンを獲得しました。そして、「ビジュアル系四天王」と呼ばれましたが、2001年に活動休止します。
このバンドのギタリストだったMana(マナ)は現在、何をしているのでしょうか。
プロフィールと合わせてご紹介します。
Manaの現在
Manaは現在、Moi dix Moisに所属して音楽活動を続けています。また、ファンとはオンラインサロン「Mana様の青薔薇の館」を開いて交流しています。
Moi dix Mois
Moi dix Mois(モワディスモワ)は2002年3月19日に結成されたゴシックメタルバンドです。バンド形式ですが、あくまでもManaのソロプロジェクトという位置づけです。
メンバーは以下の通りです。
- ボーカル:Seth
- ギター:Mana
- ギター:Ryux
- ベース:Sugiya
- ドラム:Hayato
楽曲によってメンバーを変えていますが、こちらが事実上の固定メンバーになっています。
また、バンド名のMoi dix Moisはフランス語の直訳で「私の10ヶ月」です。
10ヶ月とは、子どもが生まれるまでの期間です。子どもを作品と見立てて、「Manaが構築と破壊など正反対のものを融合し、これまでにない音楽を創造する」という意味が込められています。
そして、Moi dix Moisはこれまでに全国ツアーだけでなく、海外での公演も行って積極的に活動していました。
音源を聞いてみましょう。
こちらは「Pageant」という楽曲です。シンフォニックな前奏から始まって、途中でポップロックのようになります。リスナーにとっては裏切られる展開で、ここが聴きどころです。
こちらは「Nocturnal Romance」という楽曲です。テクニカルなメタルソングで、テンポも速いです。ダークな感じがヴィジュアル系らしくて素敵です。
こちらは「monophobia」という楽曲です。演奏は全体的に攻撃的ですが、ピアノの音も挟んでいてゴシック感とメタルのバランスがとても心地よいです。
最新情報は以下のサイトをご覧になってください。
Mana様の青薔薇の館
Manaはオンラインサロン「Mana様の青薔薇の館」を開いて、著名人との対談や自身のブランドである「Moi-même-Moitié(モワメームモワティエ)」に関する情報やヘアメイク講座を発信しています。
Moi-même-Moitié プロデューサー
Mana様の『青薔薇の館』
twitter等では語らないようなレアな話や絵を披露。私が会話に参加したり、M-m-M YouTube動画の㊙︎裏動画等
サロンの皆さんとクイズ大会やったり面白い場所なので興味のある方は是非Mana
オンラインサロン▶︎ https://t.co/17bHBWzJER pic.twitter.com/UURP2zPTSB
— Moi dix Mois(Mana) (@M_d_M_official) June 2, 2020
オンラインサロンの月額1,500円で、申し込みはDMMオンラインサロン内の「Mana様の青薔薇の館」ページから加入です。
Manaのプロフィール
Manaの基本情報
名前 | Mana(マナ) |
---|---|
担当 | ギター |
愛称 | まな、Mana様、Manaちゃん、ボス |
本名 | 佐藤学(さとうまなぶ) |
生年月日 | 1969年3月19日 |
血液型 | O型 |
身長 | 173cm |
出身地 | 広島県庄原市 |
性格 | 上品 |
好きなもの | カレー |
嫌いなもの | 情報なし |
所属事務所 | Midi:Nette? |
家族構成 | 情報なし |
影響を受けたアーティスト | クラシック音楽など |
ManaはMALICE MIZERの元ギタリスト、リーダーです。イメージカラーはブルーで、ゴシックアンドロリータ(通称ゴスロリ)と呼ばれるファッションをした女形の見た目が特徴です。また、現在はMoi dix Moisで活動中です。
Manaは広島県庄原市(しょうばらし)出身、血液型はO型で、1969年3月19日生まれで現在の年齢は54歳です。また、ファンの間では、本名は佐藤学(さとうまなぶ)だと言われています。
そして、Manaは上品なキャラクターですが、飛行機やホラー映画、スヌーピーなど好きなものが幅広い一面もあります。
ManaのSNS情報
ManaはTwitterとブログをやっています。つぶやきは音楽的な内容が中心ですが、 たまに自撮りなどのオフショットも投稿しています。
Manaの生い立ち
クラシックに触れた幼少期
Manaは1969年3月19日に広島県の庄原市で生まれます。Manaの父親は高校の音楽教師で、Manaは父親の影響で幼い頃からクラシック音楽に慣れ親しみます。
この影響で、MALICE MIZERではクラシックとロックを融合させた楽曲制作をしたり、チェンバロやパイプオルガンといったクラシック音楽で使われる楽器を自身の楽曲で採用したりしています。
そして、Manaは小学生の頃、両親に広島市民球場に連れて行ってもらって、 広島東洋カープの応援をしていました。
ジャニーズを目指した中学時代
Manaは中学生の頃、ジャニーズを目指してダンスやバク転の練習をしていました。
また、少年らしい一面もあって、ボードゲームにハマって自分でボードゲームを作ることが将来の夢でした。
そして、当時好きだったのはレモンを食べることで、お弁当の中にはいつもレモンが入っていました。
ハンドボール部でビリヤードにもハマる
Manaは高校進学後、ハンドボール部に所属します。MALICE MIZERでは、ステージからボールを投げる演出をしますが、このハンドボール部の経験があるのでコントロールが正確だといいます。
そして、当時はスポーツマンでしたが、パンク音楽が好きだったので当時の髪型はモヒカンでした。
また、ハンドボール以外にも、ビリヤードにハマっていました。 地元の娯楽施設で友達と競いながらよくプレイしていたといいます。
そして、 高校卒業後は大阪の専門学校に進学するのでした。
Manaのバンド経歴
- Ves.tearge(SERINA)
- GIRL’E(ST,SERINA)
- 摩天楼(Mana)
- MALICE MIZER(Mana)
- Moi dix Mois(Mana)
Manaのバンドの経歴はこのようになっています。
MALICE MIZER加入まで
記録として残っているManaの最初のバンドは「Ves.tearge(ヴェスティアルジュ)」で、1986年から1988年までSERINA名義で活動していました。
その頃、アルバイト先でギタリストのKözi(コージ)と出会います。そして、一緒に1991年から1992年まで、「摩天楼(まてんろう)」というバンドで活動をしていました。 ちなみにManaは当時、ベーシストとして活動していました。
MALICE MIZERの結成
1992年6月に「摩天楼」は解散して、メンバーはそれぞれ「MALICE MIZER」「Knueklid Romance」「翡翠(ひすい)」というバンドに所属します。
その中で、1992年8月にギタリストのManaとKözi、ベーシストのYu~ki(ユウキ)、元ドラムのGaZ(ガズ)、元ボーカルのKAIE(カイエ)を中心に結成されたのが「MALICE MIZER」です。
しかし、KAIEは即脱退して、TETSU(テツ)が初代ボーカルとして加わります。
また、当時のMALICE MIZERはアコーディオンを取り入れて弾くなど、斬新な世界観に挑戦していました。
メンバーの入れ替え
1993年3月15日にドラマーのGAZがMALICE MIZERから脱退して、3月17日に新ドラマー のKami(カミ)が加入します。その後、1994年12月27日に初代ボーカルのTETSUが脱退します。TETSUの脱退理由は音楽性の違いでした。
そして、1995年10月10日にボーカルオーディションを行い、2代目ボーカリストとしてGackt(ガクト)が加入します。
その後、 Gacktは1998年7月28日の横浜アリーナ公演をもって脱退します。Gacktの脱退理由は事務所や他のメンバーとの金銭感覚の相違や不仲と言われています。そして、Kamiが1999年の6月21日に、くも膜下出血で亡くなります。
MALICE MIZERの活動停止
2000年7月にMALICE MIZERには、3代目ボーカリストとしてKlaha(クラハ)が加入します。
しかし、2001年12月31日、メンバーそれぞれ自由な活動を展開するというバンドとしての考えにいたります。そして、MALICE MIZERは活動停止になりました。
その後、Manaは自身のソロ活動に力を入れることになります。
Manaの音楽性
ギター
Manaの音楽のルーツは幼少期に親しんだクラシックです。 このクラシックとロックの融合を目指しているのがManaの音楽性です。
また、Manaはゴシック調の衣装に身を包み、耽美(たんび)な世界観を強みにギターを弾いています。
こちらは、「ヴェル・エール~空白の瞬間の中で~」です。バンド全員の個性が強いですが、どれもぶつかることなく各々に魅力があります。Manaはヘドバンなど派手なプレイをせずに、上品にギターを弾いています。このエレガントさが魅力です。
使用ギター
Manaは「ESP」のギターを使用しています。
こちらはESPのブログで公開されていたManaの「jeune fille X Ferrum -Cross Ray illusion-」というギターです。ギターの十字架のデザインから世界観が溢れています。
作詞作曲
Manaは作曲を行っています。
Manaが作曲した代表曲は「au revoir(オ ルヴォワール)」です。
前奏は爽やかなロックで始まり、そこにバイオリンの音色が優しく絡んでいます。Aメロにはピアノのサウンドも使われていて、まさにクラシックとロックが融合した楽曲です。
その他、Manaが作曲した他の代表曲はこちらです。
ヴェル・エール ~空白の瞬間の中で~
「ヴェル・エール ~空白の瞬間の中で~」は1997年7月19日発売のメジャーデビューシングルです。メジャーデビューシングルはポップな楽曲が使われることが多いのですが、この楽曲はゴシックロックという感じで世界観が濃いのが特徴です。
MALICE MIZERの怪しくて美しい雰囲気がよく出ています。
1998年3月18日発売の2ndアルバム「merveilles」に収録されています。
Premier amour
「Premier amour(プルミエラムール)」は1996年6月9日発売の第2期1stアルバム「Voyage〜sans retour〜」に収録されている曲です。クラシックを織り交ぜたミドルバラードで、ポップなメロディが耳に残るのでおすすめです。
追憶の破片~a piece of broken recollection~
「追憶の破片~a piece of broken recollection~」は1996年6月9日発売の第2期1stアルバム「Voyage〜sans retour〜」に収録されている曲です。ダークな雰囲気でAメロはベースが目立っています。低音に絡みつくようなギターのフレーズが聴きどころです。
エーゲ ~過ぎ去りし風と共に~
「エーゲ ~過ぎ去りし風と共に~」は1998年3月18日発売の2ndアルバム「merveilles」に収録されている曲です。ミドルバラードでしっとりとした雰囲気です。幻想的なギターのフレーズにテンポのいいドラムが絡み合っているのが素敵です。
S-CONSCIOUS
「S-CONSCIOUS」は1998年3月18日発売の2ndアルバム「merveilles」に収録されている曲です。Manaが作曲した曲では珍しくクラシックではなく、電子音楽が使われています。機械的なサウンドを使った攻撃的な楽曲です。
Manaのソロ活動
ManaはMoi dix Moisでソロ活動しています。
また、それ以外にもサウンドプロデューサーや雑誌連載の仕事をしていました。
サウンドプロデューサー
Manaは2002年にヴィジュアル系エレクトロニカユニット「Schwarz Stein(シュヴァルツシュタイン)」のプロデュースを行いました。
また、2008年には、シンガーソングライターの分島花音(わけしまかのん)にデビュー曲「still doll」楽曲提供しています。
執筆活動
Manaは2011年からゲーム雑誌「ゲームラボ」で連載を持っていました。しかし担当編集者が退職したため、 連載も終了します。
Manaはもともと、ゲームマシーン「3DO」のファンで、以前インタビューで「3DO」について語っていました。しかし、全てを語りきれなかったので、ブログに「3DO」のことを追記します。
それを見た「ゲームラボ」編集部が雑誌連載のオファーをManaにして連載が始まりました。
Manaのプライベート
ゴスロリ好きな女形
Manaは男装も女装も行っていますが、MALICE MIZER時代に女形のギタリストとして一世風靡しました。「喋らない人形」というキャラクターと世界観をしっかりと作ります。
また、ドレスやゴスロリの衣装を愛用してネイルにもこだわっていて、1999年の第4回ネイルクィーンでは特別賞を受賞しています。この実績からManaのファッションに憧れるファンもたくさんいます。
またこの日がやって来たのね!
ツインテの伝道者としてはやはり見逃せないっ
ゴスってロリって皆んなで黙ってツインテよ!Mana pic.twitter.com/P5SMhQFKRT
— Moi dix Mois(Mana) (@M_d_M_official) November 22, 2020
また、Manaは私服でもゴスロリファッションをしていて、ジーンズやスニーカーなどカジュアルなファッションは持っていません。そのため、近所のコンビニに行くときも、ゴスロリファッションで出かけます。
Manaはゴスロリファッションの方が落ち着くといいます。
声を出したことがある?
Manaは「喋らない人形」という設定なので基本的には喋りませんが、雑誌のインタビューなど声が入らない所では普通に受け答えをしています。
しかし、ファンの間ではManaはMALICE MIZER時代に喋ったことがあると話題です。 1998年2月に出演したテレビ番組で、歌のスタンバイをするとき、マイクがManaの素の声を拾ってしまいました。
その動画はYouTubeなどにはあげられておらず、すでに削除されています。
Gacktと社長を巻き込んでトラブル
Gacktは1999年にMALICE MIZERを脱退します。脱退理由は「事務所や他のメンバーとの金銭感覚の相違や不仲」と言われていますが、メンバー内で音楽活動に対する熱意の差や、Gacktと他のメンバーの間でも金銭感覚の違いがあったといいます。
また、Manaは同時期に当時の事務所の女性社長と付き合っていたと言われています。そのため、「Gackt VS 社長、事務所の肩を持ったMana、Manaに賛同するメンバー」という構図で溝が深まります。
それでGacktが結果的に脱退するということになりました。
ちなみに現在、Yu〜kiとKöziはGacktと和解する一方で、Manaとはまだ不仲のままだと言われています。
料理が得意
Manaは料理が得意で、メンバーにも手料理を振る舞っています。また、YouTubeでは料理している姿も公開しています。
料理する姿もエレガントですね。
また、料理ができることもあって、雑誌の「お嫁さんにしたいランキング」で女性芸能人の中に混じってManaはランクインしました。 これについてMALICE MIZERのメンバーは「料理が上手いし、いいお嫁さんになるかも」とコメントしています。
ちなみに、Manaは料理を食べる側だと、カレーが大好きです。
何〜が #カレーの日 だ!
私に決まっているだろう!
とある雑誌で『カレーのMana様』という連載をしていたのをご存知の方もいらっしゃるでしょう?
去年La包丁貴族で、遂に青いマリンブルーなカレーが登場。今年6月に〜漆黒の料理人集団〜La包丁貴族再び!ランチ&ディナー!?包包包…シェフMana pic.twitter.com/SrI2yCBNCN
— Moi dix Mois(Mana) (@M_d_M_official) January 21, 2018
元メンバーとの交流
2001年にMALICE MIZERが活動停止してから、Manaは他の元メンバーとあまり連絡をとらなかったといいます。しかし、2008年12月27日のイベントでKöziと共演してから再び連絡を取るようになります。
また、活動停止後、ベースのYu〜kiとは一緒にご飯に行って、「今後何かできればいいね」という具体的な話もしていました。
Manaの愛用ブランド
Manaの愛用しているブランドは特に公開されていません。しかしながら、ファッションブランド「Moi-même-Moitié(モワ・メーム・モワティエ)」立ち上げています。
女性的な「E.G.L」と中性的な「E.G.A」という2つのブランドラインを展開していて、多くのアイテムはManaの好きな色である青がモチーフです。また、定番のアイテムは黒の綿シャツ、レースつきの白い絹シャツです。
もちろん、Mana本人も着用しています。
Mana様~初めてのMoi-même-Moitié お手伝いの巻~
はじめてのおつかい的な感じで慣れない手つきでプレゼントのコームを袋に詰めていく裏側的な…
着ているのはペイズリー蝙蝠カラーブラウス〜2020 Mana Special Edition〜
中々人気あって残りわずかですMana
動画▶︎ https://t.co/dxrsSNgNhR pic.twitter.com/ouM3lM2eSq
— Moi dix Mois(Mana) (@M_d_M_official) November 26, 2020
ブランドの詳しい情報は以下のサイトをご覧になってください。
Manaのすっぴん画像はある?
Googleで「MALICE MIZER Mana すっぴん」と検索すると、Manaの素顔が確認できます。
また、MALICE MIZERの時代の画像を見てみると、当時のManaを確認できます。長髪の女形姿がとても美しいですね。
Manaの恋愛事情について
彼女がいる?結婚は?
さて、最後にファンのみなさんが気になる恋愛事情について調べてみましょう。
Manaの恋愛に関する確かな情報はないようです。本当のところはトップシークレットなのかもしれませんね。
まとめ
今回はManaについてご紹介しました。謎めいている雰囲気ですが、プライベートの情報も意外と開示されています。知れば知るほど素敵ですね。
ぜひ、参考にしてみてください。