ロックにこんにちは。みなさんは、ビジュアル系の音楽をいつも楽しんでいますか。
MALICE MIZER(マリスミゼル)は1992年に結成されて以降、衣装や楽曲、ステージセットなどにこだわった世界観で多くのファンを獲得しました。そして、「ビジュアル系四天王」と呼ばれましたが、2001年に活動休止します。
そのバンドの2代目ドラマーだったKami(カミ)は1999年に27歳の若さで亡くなってしまいます。死因はくも膜下出血でした。
当時、人気絶頂だったKamiの死は、多くの人に衝撃を与えました。今回はそんなKamiの半生を、プロフィールと合わせて振り返りたいと思います。
Kamiの死因
Kamiは1999年6月21日に京都府京都市で、くも膜下出血で亡くなります。くも膜下出血とは、脳の欠陥が破裂して出血し、死亡率がとても高い病気です。高血圧、喫煙、飲酒の習慣があれば発症の可能性は高くなり、発症の直前に何度か頭痛を感じます。
Kamiがどうして、くも膜下出血を発症したかの理由については不明ですが、当時は人気絶頂で過密なスケジュールだったため、不規則な生活やストレスなどが原因だったのではないかと言われています。
Kamiのプロフィール
Kamiの基本情報
名前 | Kami(カミ) |
---|---|
担当 | ドラム |
愛称 | Kamiくん、神村右狂、右狂 |
本名 | 神村浩行(かみむらひろゆき) |
生年月日 | 1972年2月1日 |
血液型 | A型 |
身長 | 178cm |
出身地 | 茨城県 |
性格 | 人懐っこい |
好きなもの | メロン、お肉、ガム |
嫌いなもの | 非公表 |
所属事務所 | 現在無所属 |
家族構成 | 双子の弟、その下に弟がいる |
影響を受けたアーティスト | Sakura(Ex.L’Arc〜en〜Ciel) |
KamiはMALICE MIZERの2代目ドラマーです。イメージカラーはパープルでした。1993年3月にMALICE MIZERに加入して、1999年6月21日にくも膜下出血で亡くなります。27歳の若さでした。
また、Kamiは1972年2月1日生まれで血液型はA型、本名は神村浩行(かみむらひろゆき)です。以前は、神村右狂(かみむらうきょう)、右狂という芸名を使っていました。
そして、Kamiのトレードマークはドラムセットのデザインとしても使っていた「蝶」で、「蝶が主食」という設定でした。また、偉人の武田信玄が好きです。
KamiのSNS情報
KamiはSNSをやっておらず、生前のSNSのアカウントも現在は残っていません。
Kamiの生い立ち
茨城で育つ
Kamiは1972年2月1日茨城県の常陸太田市(ひたちおおたし)で生まれます。Kamiは長男で、双子の弟がいます。そのため、Kamiは「右京」を芸名として名乗っており、「左京」は双子の弟を指していました。また、さらにその下に弟もいます。
それ以外の生い立ちは公開されていませんが、高校は茨城県立佐竹(さたけ)高等学校に通っていました。
Kamiのバンド経歴
- 3Pマヨネーズ(かみ)
- Kneuklid Romance(右京)
- MALICE MIZER(Kami)
Kamiのバンドの経歴はこのようになっています。
MALICE MIZER加入まで
記録として残っているKamiの最初のバンドは「3Pマヨネーズ」 です。バンド自体は1988年頃に活動していました。そして、1992年から1993年5月まで「Kneuklid Romance(ニュークリッドロマンス)」で活動します。
MALICE MIZERの結成
ギタリストのKözi(コージ)とMana(マナ)はアルバイト先で出会い、1991年から1992年まで、「摩天楼(まてんろう)」というバンドで活動していました。
そして、1992年6月に「摩天楼」は解散して、メンバーはそれぞれ「MALICE MIZER」「Kneuklid Romance」「翡翠(ひすい)」というバンドに所属します。「Kneuklid Romance」はKamiが当時、所属していたバンドです。
その中で、1992年8月にギタリストのManaとKözi、ベーシストのYu~ki(ユウキ)、元ドラムのGAZ(ガズ)、元ボーカルのKAIE(カイエ)を中心に結成されたのが「MALICE MIZER」です。
しかし、KAIEは即脱退して、TETSU(テツ)が初代ボーカルとして加わります。
また、当時のMALICE MIZERはアコーディオンを取り入れて弾くなど、斬新な世界観に挑戦していました。
メンバーの入れ替え
1993年3月15日に初代ドラマーのGAZがMALICE MIZERから脱退して、3月17日に新ドラマーのKamiが加入します。その後、1994年12月27日に初代ボーカルのTETSUが音楽性の違いを理由に脱退して「Kneuklid Romance」に加入します。
そして、MALICE MIZERは1995年10月10日にボーカルオーディションを行い、2代目ボーカリストとしてGackt(ガクト)が加入します。
その後、 Gacktは1998年7月28日の横浜アリーナ公演をもって脱退します。Gacktの脱退理由は「事務所や他のメンバーとの金銭感覚の相違や不仲」と言われています。そして、Kamiが1999年の6月21日に、くも膜下出血で亡くなります。
MALICE MIZERの活動停止
2000年にMALICE MIZERには、3代目ボーカリストとしてKlaha(クラハ)が加入します。最初はサポートボーカリストでしたが、9月1日の日本武道館公演をもって正式メンバーになります。
その後、バンドは「メンバーそれぞれ自由な活動を展開する」という考えにいたります。そして、2001年12月31日にMALICE MIZERは活動停止になりました。
Kamiの音楽性
ドラム
KamiはMALICE MIZERのドラマーとして人気が根強いです。MALICE MIZERでKamiがドラムを叩いていた期間も長いため、「MALICE MIZERの顔」となっています。
特に、Gacktが在籍した頃、Kamiのドラミングをベースにメンバー全員が音を合わせる姿は圧巻でした。また、Kamiはライブでドラムが見せ場になるようなパフォーマンスをすることもあって、このシーンが好きなファンも多いです。
こちらは、「regret」という楽曲のライブ映像です。Gacktのクラシックに近いピアノ演奏から始まり、途中(2:46〜)からKamiがドラム演奏を始めます。
クラシックとロックの融合で、GacktとKamiの息のあった名ライブパフォーマンスとして今でも語り継がれています。
使用ドラム
Kamiは「Pearlの(パール)」のドラムセットを使用していました。
また、2018年に行われたMALICE MIZERの結成25周年記念イベントでは、当時のKamiのドラムセットが復元されました。そして、Kamiが師匠と呼ぶ、元L’Arc〜en〜CielのSakuraがドラマーとしてステージに上がりました。
こちらはPearl楽器のTwitterで公開されていた、MALICE MIZERの結成25周年記念イベントのドラムセットです。
また、YouTubeにはSakuraがKamiのドラムセットを組み立てる動画も公開されていました。
また、Kamiが生前使用していたドラムセットは、2008年にGacktによってKamiの母校に送られました。
そして、2018年のMALICE MIZERの結成25周年記念イベントで使用した後に、KöziがドラムセットをKamiの母校に再び返却したことをTwitterで報告していました。
SAKURAくんとKAMIのドラムを返却しに茨城の母校へ行ってきた。突然のSAKURA先生によるドラム指導もあったりと終始和やかな雰囲気。これからも生徒達にいっぱい叩いてもらう事、KAMIも喜んでると思うよ。また遊ぼうぜKAMI! pic.twitter.com/zgQlXmVNRd
— Közi (@Kzi_official) September 12, 2018
作曲
Kamiは作曲をしていません。ドラムだけに集中していて素敵ですね。
Kamiのソロ活動
Kamiはソロ活動をしていませんでした。MALICE MIZERの活動に専念して私たちを楽しませてくれました。
Kamiのプライベート
お墓の場所は非公開
Kamiのお墓の場所は公開されていません。お墓参りをしたいと思っても、控えて欲しいとKamiの親族からアナウンスされています。
今もカミのことを忘れずに想っていてくださりありがとうございます。
ファンの皆様からお墓参りをしたいとお手紙を頂戴したり、
遠方から訪ねてきてくださる方もいらっしゃるのですが、
亡くなって19年の月日が経っており、
親族としましてはそっとしておいていただきたいと思っております。
皆様のお気持ちは届いておりますので、
これからもそれぞれの場所からカミのことを想っていていただけたら嬉しく思います。Kami親族一同
引用元:『MALICE MIZER official』
GacktのKamiに対する想い
Gacktは1998年7月28日の横浜アリーナ公演を最後に失踪して脱退します。その一件で、KamiはGacktに対して怒りを覚えていました。そして、1999年6月21日にKamiはくも膜下出血で亡くなります。
その後、Gacktは葬儀には呼ばれることはなく、1週間後の1999年6月30日にGacktはソロデビューしました。そして、GacktはKamiの死を知ってから自力でKamiの家を探し、お墓参りしました。それから毎年のようにGacktはKamiの命日にお墓参りをしています。
また、Gacktは2000年に「U+K」という楽曲を発表します。これはKamiの旧芸名「神村右狂」のイニシャルです。
Kamiをイメージした明るい曲調ですが、歌詞は美しくて悲しいです。
その後、Gacktは2008年にKamiの母校を訪問して、自身の楽曲「野に咲く花のように」を歌います。
そして、2014年に「P.S.I LOVE U」という楽曲を発表した際に、Kamiへの想いを初めて肉声で語りました。
一方で、この時に「ケンカ別れしたのに、今さらKamiの話をしないで」と感じたファンもいます。
謝りたいけど謝れないもどかしさを感じているのかもしれませんね。
メンバーと深い絆で結ばれていた
Kamiは元L’Arc〜en〜CielのSakuraを師匠と言って尊敬していますが、それ以外にKamiの人懐っこい性格もあってメンバーとの関係も良好でした。
たとえば、Köziとはワンルームで共同生活していました。当時、家がなかったKamiがKöziに「泊まらせてほしい」と頼み、共同生活が始まったといいます。
そして、Gacktは脱退する以前、Gacktは1番仲がいいメンバーとしてKamiの名前をあげていました。
また、MALICE MIZERがフランスにロケに行った際、KamiとGacktはふたりとも馬に乗りたがっていて、趣向が似ていたとも言われています。
ちなみに、MALICE MIZERでKamiのイメージカラーがパープルになったのは、余りものだったからという逸話が残っています。
Kamiの愛用ブランド
Kamiの愛用ブランドは以下のようなものがあります。
- SUPER LOVERS
- HYSTERIC GLAMOUR
「SUPER LOVERS(スーパーラヴァーズ)」は原宿系のファッションブランドで、ポップで奇抜なアイテムを取り揃えています。
「HYSTERIC GLAMOUR(ヒステリックグラマー)」はアメリカンカジュアルをベースとしたファッションブランドです。
Kamiのすっぴん画像はある?
Googleで「kami すっぴん」などと検索すると、Kamiの素顔が確認できます。ノーメイクでも美しいですね。
また、MALICE MIZERの時代の画像を見てみると、当時のKamiを確認できます。
Kamiの恋愛事情について
彼女がいる?結婚は?
さて、最後にファンのみなさんが気になる恋愛事情について調べてみましょう。Kamiの恋愛に関する確かな情報はないようです。もしかしたらトップシークレットかもしれませんね。
ちなみに、好きな女性のタイプは相川 七瀬(あいかわななせ)のように、キツそうな感じで、目が鋭い人だといいます。
まとめ
今回はKamiについてご紹介しました。美しい見た目と、魅力的なステージパフォーマンスで私たちを楽しませてくれましたね。心から「ありがとう」と言いたいです。
ぜひ、参考にしてみてください。