ロックにこんにちは。みなさんは、ビジュアル系の音楽をいつも楽しんでいますか。
MALICE MIZER(マリスミゼル)は1992年に結成されて以降、衣装や楽曲、ステージセットなどにこだわった世界観で多くのファンを獲得しました。そして、「ビジュアル系四天王」と呼ばれましたが、2001年に活動休止します。
このバンドの三代目ボーカリストだったKlaha(クラハ)は現在、何をしているのでしょうか。
プロフィールと合わせてご紹介します。
Klahaの現在
Klahaは現在、音楽活動をしておらず何をしているのか全く不明です。
ファンだけでなくMALICE MIZERの元メンバーですら、Klahaが現在何をしているのかわからないといいます。
2018年にMALICE MIZERの結成25周年を記念して、MALICE MIZERのメンバーがセッションをおこなうライブイベント「Deep Sanctuary Ⅵ 〜MALICE MIZER 25th Anniversary Special〜」がありました。
この時に、リーダーのMana(マナ)はMALICE MIZERの元メンバーや関係者に声をかけて一緒にステージに上がってくれるよう打診しました。しかし、Klahaだけ連絡が取れなかったといいます。
また、Manaは2017年に「Klahaはソロ活動後に姿を消した」と言っています。
先日klahaについての質問も来てたけど、彼は自身のソロの後姿を消した。
その後連絡を取りたいと色々探したんだけど行方が分からない。彼の事を語らないと思っているかもしれないけど情報が無さ過ぎてね。いつか会える日があればと思ってる。薔薇の聖堂を見事に表現してくれたよ彼は最高!— Moi dix Mois(Mana) (@M_d_M_official) April 29, 2017
Twitterでは、Klahaの情報をファンから募集しているので、Manaは連絡先すらも知らないようです。
Klahaの情報お待ちしております。
MALICE MIZER25周年ですからね。久々に逢いたいものなんです!
やっぱメンバーと連絡取れないって寂しいじゃないですか。
昨日、某赤い人とそんな話をしました。
あの声久々に聴きたいよね!情報お待ちしております。— Moi dix Mois(Mana) (@M_d_M_official) August 17, 2017
Klahaのプロフィール
Klahaの基本情報
名前 | Klaha(クラハ) |
---|---|
担当 | ボーカル |
愛称 | Klahaくん |
本名 | 春名 真樹(はるな まさき) |
生年月日 | 1970年5月3日 |
血液型 | 非公表 |
身長 | 176cm |
出身地 | 大阪府 |
性格 | 紳士 |
好きなもの | プリンやヨーグルト |
嫌いなもの | 情報なし |
所属事務所 | 現在不明 |
家族構成 | 情報なし |
影響を受けたアーティスト | クラシックやオペラ、シャンソンなどのアーティスト |
KlahaはMALICE MIZERの三代目ボーカリストです。イメージカラーはブラックでした。また、現在の活動状況は不明です。
Klahaは1970年5月3日生まれの大阪府出身で、現在の年齢は53歳です。また、本名は春名 真樹(はるな まさき)で、この名前でバンド活動をしていたこともあります。
そして、Klahaは紳士的なキャラクターで、口調やたたずまいが落ち着いているのが特徴です。
KlahaのSNS情報
Klahaは現在SNSをやっていません。すでに音楽活動をやってないので、 SNSのアカウントを開設してないのも仕方がありません。
Klahaの生い立ち
クラシックやオペラを聴いて育つ
Klahaは1970年5月3日に大阪府で生まれます。それ以外の生い立ちはほとんど公開されていません。
しかし、バンドをやる前は、詩吟(しぎん)やピアノを習っていて、クラシックやシャンソンを聴いていました。そのため、メンバーや他のバンドマンと比べて、ロックやバンドサウンドに興味を持たずに育ちました。
Klahaのバンド経歴
- PRIDE OF MIND(春名 真樹)
- MALICE MIZER(Klaha)
Klahaのバンドの経歴はこのようになっています。
MALICE MIZER加入まで
Klahaはずっとクラシックやオペラを聴いていたので、ビジュアル系に縁がありませんでした。しかしある日、共通の知り合いを通じてギタリストの福山淳司(ふくやまあつし)と知り合います。
福山淳司は黒色できれい目な衣装を着て、シンセを多用した音楽をしていました。いわゆる「ソフビ」というビジュアル系のジャンルです。
Klahaは彼の音楽を聴いて、自分のバンド観を変えてしまうほどの強い衝撃を受けました。その後、Klahaは福山淳司のバンドでキーボードを弾いていましたが、いつのまにかボーカルに転身していたといいます。
そして、Klahaは福山淳司と一緒のバンド「PRIDE OF MIND(プライドオブマインド)」を組み、1992年から1995年までボーカルとして活動しました。
MALICE MIZERの結成
1991年頃、ギタリストのKözi(コージ)とManaはアルバイト先で出会います。そして、1991年から1992年まで、「摩天楼(まてんろう)」というバンドで活動していました。
そして、1992年6月に「摩天楼」は解散して、メンバーはそれぞれ「MALICE MIZER」「Kneuklid Romance(ニュークリッドロマンス)」「翡翠(ひすい)」というバンドに所属します。
その中で、1992年8月にギタリストのManaとKözi、ベーシストのYu~ki(ユウキ)、元ドラムのGaZ(ガズ)、元ボーカルのKAIE(カイエ)を中心に結成されたのが「MALICE MIZER」です。
しかし、KAIEは即脱退して、TETSU(テツ)が初代ボーカルとして加わります。
また、当時のMALICE MIZERはアコーディオンを取り入れて弾くなど、斬新な世界観に挑戦していました。
メンバーの入れ替え
1993年3月15日にドラマーのGAZがMALICE MIZERから脱退して、3月17日に新ドラマーのKami(カミ)が加入します。その後、1994年12月27日に初代ボーカルのTETSUが音楽性の違いを理由に脱退します。
そして、1995年10月10日にボーカルオーディションを行い、2代目ボーカリストとしてGackt(ガクト)が加入します。
その後、 Gacktは1998年7月28日の横浜アリーナ公演をもって脱退します。Gacktの脱退理由は「事務所や他のメンバーとの金銭感覚の相違や不仲」と言われています。そして、Kamiが1999年の6月21日に、くも膜下出血で亡くなります。
MALICE MIZERの活動停止
2000年にMALICE MIZERには、3代目ボーカリストとしてKlahaが加入します。最初はサポートボーカリストでしたが、9月1日の日本武道館公演をもって正式メンバーになります。
その後、バンドは「メンバーそれぞれ自由な活動を展開する」という考えにいたります。そして、2001年12月31日にMALICE MIZERは活動停止になりました。
活動停止後、Klahaは自身のソロ活動に力を入れることになります。
Klahaの音楽性
ボーカル
Klahaの音楽のルーツはクラシックやオペラです。また、前バンドの「PRIDE OF MIND」では、エレクトロ系の音楽をやっていました。そして、ソロではやわらかい雰囲気の曲も披露していて、音楽性も幅広いです。
また、Klahaは力強い歌声と確かな歌唱力を武器にしています。 Gacktが抜けた穴を埋めるのにふさわしい人材として選ばれたので、実力は確かです。特にオペラで培った歌い方は1番の魅力ですね。
こちらは、「白い肌に狂う愛と哀しみの輪舞」という曲です。当時のKlahaはサポートボーカリストとして歌っていますが、歌い方はMALICE MIZER全体の印象を変えるほどオペラチックです。語りかけてくるようなボーカルが聴きどころです。
作詞
Klahaは作詞を行っています。
Klahaが作詞した代表曲は「Garnet~禁断の園へ~」です。
バンドのビジュアルはダークですが、その一方でサウンドはポップでキャッチーさがあります。非常に聴きやすくておすすめです。特にサビに入る前のコーラスとサビのメロディが聴きどころです。
その他、Klahaが作詞した他の代表曲はこちらです。
Gardenia
「Gardenia」は2001年5月30日発売の第3期4thシングルです。幻想的な世界観がある一方で、ポップなメロディやサウンドを取り入れています。MALICE MIZERのオリジナリティが溢れているので必聴です。Klahaのしゃがれた歌声も聴きどころです。
Beast of Blood
「Beast of Blood」は2001年6月21日発売の第3期5thシングルです。メタルサウンドが全開で、そこに電子音が絡みカッコよく仕上がっています。Klahaはロックに近い歌い方で、気分が上がるのでおすすめです。
Klahaのソロ活動
KlahaはMALICE MIZERが解散してからソロ活動を始めます。
Klahaは2002年12月4日に1stアルバム「Nostal Lab」、2003年3月26日に1stシングル「Märchen(メルヘン)」、2004年2月14日に2ndアルバム「切望」をリリースします。それ以降、活動をしていません。
また、2001年11月には、映画「薔薇の婚礼 真夜中に交わした約束」に出演して、 2003年7月16日には映像作品「Märchen」をリリースしていました。
楽曲を聴いてみましょう。
こちらは2003年3月26日に発売された1stシングル「Märchen」です。流麗なサウンドから始まって和の雰囲気にしつつ、そこにエレクトロを加えています。その後、ポップロックとなる展開は鮮やかです。
こちらは2003年3月26日に発売された1stシングル「Märchen」に習得されている「stay in the rain」です。ピアノのバラード曲で、Klahaはポップバラードに挑戦しています。思わず泣いてしまうメロディです。
Klahaのプライベート
加入エピソード
Klahaは、MALICE MIZERの結成当初からメンバーたちと交流がありました。
一方で、MALICE MIZERはGacktが2代目ボーカリストとして加入してから人気が急上昇しますが、Gacktが脱退してバンドの存続が危うい状況でした。さらにドラムのKamiが亡くなってしまい致命的になります。
残った3人のメンバーで、ボーカルなしのシングルをそのままリリースするほどでした。
そして、ライブでのサポートなどで親交のあったKlahaがサポートボーカリストとして加入して、 2000年7月26日にシングル「白い肌に狂う愛と哀しみの輪舞」をリリースします。その後、KlahaはMALICE MIZERに正式加入しました。
「KlahaがMALICE MIZERに在籍していた頃の楽曲が1番好きだ」という声も多く、Klahaは結果的にMALICE MIZERのボーカリストとして大成功をおさめました。
紳士キャラに隠された本性?
Klahaは紳士キャラが定着していますが、他にも知られざる一面がたくさんあります。
たとえば、甘党でありプリンとチョコとシリアルの入ったヨーグルトが大好きで、「お酒は白ワイン、コーヒーはブラック」というこだわりもあります。その一方で、 読書やチェスを嗜むというイメージ通りの紳士な趣味もあります。
また、現役時代に 「アトラ」「チョピン」という名前の猫を飼っていて、動物好きな一面もありました。しかし、ヘビとクモは大嫌いです。特にヘビが苦手で、ヘビを連想させるような、うな重は食べられないといいます。
交友関係は謎のまま
Klahaの交友関係は不明です。元メンバーも連絡が取れないくらいなので、どういった人付き合いをしているのか分かりません。
Klahaの愛用ブランド
Klahaの愛用しているブランドは特に公開されていません。
Klahaのすっぴん画像はある?
Googleで「MALICE MIZER Klaha すっぴん」と検索すると、Klahaの素顔が確認できます。ノーメイクでも美しいですね。
また、MALICE MIZERの時代の画像を見てみると、当時のKlahaを確認できます。
Klahaの恋愛事情について
彼女がいる?結婚は?
さて、最後にファンのみなさんが気になる恋愛事情について調べてみましょう。
Klahaの恋愛に関する確かな情報はないようです。本当のところはトップシークレットなのかもしれませんね。
まとめ
今回はKlahaについてご紹介しました。謎めいている雰囲気ですが、プライベートの情報も意外と開示されています。知れば知るほど素敵ですね。
ぜひ、参考にしてみてください。