ロックにこんにちは。みなさんは、ビジュアル系の音楽をいつも楽しんでいますか。
Janne Da Arc(ジャンヌダルク)は2000年代に活躍したロックバンドで、他のビジュアル系にはないキーボードサウンドやポップなメロディが人気になりました。「月光花」がアニメ「ブラックジャック」の主題歌にもなったのは有名です。
今回は、そんなJanne Da Arc(ジャンヌダルク)について、解散理由や活動履歴と合わせてご紹介します。
Janne Da Arcの解散理由
Janne Da Arcは2019年4月1日に解散します。なぜ、解散したかというと、以下の2つが関係しています。
- ボーカルのyasuが首を損傷してリハビリ中
- ベースのka-yu(カーユ)が不祥事を起こして脱退
Janne Da Arcは最後まで5人での活動にこだわっていましたが、これらのことが関係して、5人揃ってJanne Da Arcが活動することがないと判断され、解散に至りました。
ボーカルのyasuが首を損傷してリハビリ中
yasuは「頚椎損傷(けいついそんしょう)」を引き起こして、活動を休止しています。
頚椎を損傷してしまうと全身に痛みが広がり、場合によっては手足の感覚もなくなります。また、回復するのに数年ほど長い時間が必要です。
ちなみに、頚椎を損傷してしまった原因は、ヘドバン後のケアを怠ったからです。ヘドバンをすると首に負担がかかりますが、ライブ後などにしっかりとマッサージなどをするべきですが、それが不完全でした。
ベースのka-yuが不祥事を起こして脱退
ka-yuの不祥事を起こして脱退します。
2018年、弁護士事務所からJanne Da Arcの所属事務所当てに届いた手紙には、「ka-yuが社会的正義から著しく反する行為を行った」と書かれていました。しかし、裁判を行う理由から詳しい内容までは明らかにされていません。
一方で、ネット上では「詐欺や恐喝」という噂が広がっています。「ka-yuにお金を要求された」という方もいて、ka-yuと裁判で争う団体も出てきています。
この点についてJanne Da Arcの所属事務所は「ka-yuはモラルに反したが法には触れていない」という立場を取っています。所属事務所の言い方を考えると、かなりグレーな行為だったことが予想できます。
メンバーのコメント
ka-yu以外のメンバーは、解散に際してコメントをしています。
まず、yasuのコメントです。
Janne Da Arc解散
正直なところ、こんなにたくさんの人達に惜しまれるバンドにまでなれたんだなと、初めて実感しています。
これほどバンドマン冥利につきるものはないです。
そんな皆さんにとっても大切なものをなくしてしまうのは本当に心苦しいけれど
守ることは残すことだけじゃないって事が僕達の答えです。決していい終わり方ではないけれど、色んなコメントを読めば読むほど、13年近く活動してないバンドを支え続けてたファンの皆さんには感謝しかありません。
本当に本当に今までありがとうございました。
そしてこんな形での報告になってしまった事
本当に本当に申し訳ない。
でも忘れないでほしいのは
みんなも哀しいように
Janne Da Arcのメンバーも、そしてスタッフ、関係者のみんなも、そして僕も哀しいって事。
誰もこんな結末を望んでなかった事くらいわかってる。
でもね
わかっていてもどうしようもない事ってあるんだなって
うまく説明出来ないけど大人になるって事はそういう事なんだと思います。
このまま色んな事を話したい気持ちはあるけれど、敢えてこの言葉だけにした思いを察してもらえたら嬉しいです。
ここで僕の話を少しさせてください。
僕のパソコンの中にはAcid Black Cherryを始めると決めた時からJanne Da Arcの音源が一つも入っていません。
この意味はどう捉えてもらっても構わないけど、これが僕の生き方なんだと理解してもらえればと思います。
そして最近になって気づいた事があります。
もう少し自分を褒めてあげようと
僕が初めて
自分の事だけを優先して下した決断は、後にも先にもBLOODのツアー中止の時だけでした。ぶっちゃけ体がおかしいと思い始めたのはErectのリハーサルの時
思い返せば、あの時もっと素直に体のシグナルを捉えていればと思うと悔やまれてなりません。
ただそれは結果論
でもそれも含めて乗り越えてきたから今があるんだと
これだけは自信を持って言えることです。
プロデューサーにも二度目の手術の時に伝えてあります。
三度目はないと
今やっと、今までの自分にお疲れ様でしたと言える。
本当によく頑張ってきたって
解散の文字を見て初めて涙が出ました。
みんなにとってJanne Da Arcは青春の1ページだと思うけど、僕達にとっては青春そのものです。
僕が今まで聴けなかったJanne Da Arcが
解散してから聴けるようになるなんて皮肉にもほどがある。でもとてもいいバンドでした。
僕の伝えたい事はいつも同じ事
すべてJanne Da ArcとAcid Black Cherryの唄の中に置いてある。
またいつか誰かが聴いて歌ってくれれば曲は死なない。
だからJanne Da Arcが残したものを時々思い出して欲しいなって思います。
ここで僕の近況をお伝えしますと
相変わらずリハビリとプータローの日々を過ごしておりますが
正直首をやって以来、情け無い話ですが昔のような強い声が出なくなりました。
唄の前にまず体を戻さないとという感じです。
この感情って伝わりにくいと思うけど、自分が作った歌が歌えなくなるってなかなか辛いものなんですよ。
だからそんな奴が担ぎ上げられたところで、やれるのはここまでかなと思います。
そもそもみんな忘れてるのかもしれないけれど、僕は2年前に無期限の活動休止しています。
哀しいもので、アゴや首が良くなる毎に、今までよくこれでやってきてたなと自分でも感心してます。
すごく身勝手な言い分だけど、今はそんな自分を少し労わりたいと感じていて、これからは林保徳としての人生を見つめ直そうと思ってます。
今の僕は声出ないおじさんなので、とりあえず歌えるおじさんくらいまでには戻したいなとは思ってますが、それも焦らずやらせてください。
淋しいけどメンバーみんな一緒にリセットボタンということで
改めて本当に今までありがとうございました。
これからもメンバーの応援よろしくお願いします。
yasu
バンドへの熱い思いと、Janne Da Arcに対して見切りをつけていたというのが伝わってきます。複雑な気持ちだったのでしょう。
また、kiyo、shuji、youもコメントを発表しています。
このコメントは、kiyoとshujiと話して、一緒に考えて、僕youがまとめたものです。
4月1日の発表以来、僕らはネットで沢山のファンの皆様の声を目にしました。
ストレートで感情が剥き出しになった言葉の数々は辛辣で、正直、残酷なくらい僕らの心に突き刺さりました。
でも、同時に皆様がどれだけJanne Da Arcを愛してくれていたかということも伝わってきて、残酷だけど愛に溢れたラブレターだと思って受け止めてます。
ありがとうございます。その中に、十年以上の時間はあったのに、ka-yuの件があったからって、もっと早い段階でJanne Da Arcをどうにか出来なかったのはプロとしてどうなの?、というような意見もいくつかありました。
本当にその通りだと思います。
メンバーの中で、応援してくれるファンがいることの意味や、プロとしてバンドの未来を一番考えていたのはyasuでした。
それと比べたら、僕らは未熟だったと思います。でも、当時からこんな風に思ってた訳ではありません。
学生時代に組んだバンドで、ワイワイとやってきて、同じスタートラインから始めた仲間がいつのまにかそんなに大人になってるなんて分からなかったし、僕らの中では、「yasu」じゃなくていつまでも林だったから、同じ目線で「yasu」と向き合えていなかったと思います。もしも僕らがもっと早くいろんなことに気づいて、それを行動に移していたら、今回のような哀しくて最悪な結末とは違ったものになってたんじゃないかと思うと、何度ファンの皆様に謝っても足りないくらいだと心から反省しています。
本当に申し訳ありませんでした。先程発表されたyasuのコメントの最後は
「これからもメンバーの応援よろしくお願いします」
という言葉で締めくくられていました。今、一番しんどくて辛いのは自分だろうし、自分のことだけを考えればいい時なのに、Janne Da Arcのリーダーとして、メンバーとして、ファンの皆様にした最後のお願いは、自分のことじゃなくて、僕らメンバーのことでした。
これだけで、口下手な僕らが下手な言葉を使って説明するより、yasuというのが、どんな生き様をしてきた人間か、って皆さんにきちんと伝わるんじゃないかと思います。
僕らが皆様に伝えなきゃならないことはまだまだ沢山あるし、僕らなりの未来へ向けての決意もありますが、それらは必ず伝えることを約束しつつ、僕ら3人で話して考えて決めた、今日一番伝えなきゃいけないこと、伝えたいことをこれから書きます。
大切なものを守る為に走り続けてきたyasuには今、自分のことだけを考えてゆっくり休んで欲しいと心から願ってます。
Janne Da Arcのファンの皆様、Acid Black Cherryのファンの皆様、yasuのファンの皆様。
yasuのことがとても心配だと思います。
これからも、きっと、今yasuはどうしてるだろう、とか、近況報告が気になってしまうと思います。
その気持ちはよく分かるし、想いは僕らも一緒です。
でも、yasuの方から、皆様に、そして僕らに、何かを伝えたい、と思うその日が来るまでは、yasuのことを、ゆっくりと静かに見守っていて下さると嬉しいです。これが、僕たちyou、kiyo、shujiが、Janne Da Arcのメンバーとしてする、ファンの皆様への最後のお願いです。
よろしくお願いいたします。you kiyo shuji
ka-yuとyasuで揺れ動いたJanne Da Arcの真ん中にいた3人にも一言で言い表せないような想いがあったのでしょう。yasuへの気遣いが最後まで感じられます。
Janne Da Arcのメンバーの現在
ボーカルのyasuの現在
yasuは現在も頚椎損傷の治療中です。2019年にファンに対してコメントを発表しており、「リハビリとプータローの日々を送っている」と言っていました。それで、現在もリハビリを続けています。また、海外で療養中とも言われています。
ちなみに2018年には、ナイトメアの柩(ひつぎ)のInstagramの画像の中にyasuが登場しています。
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ギターのYouの現在
youはギタリストとして音楽活動を続けています。作曲・編曲・演奏・録音を全てyouが行ったインストのアルバムをリリースしていて、「Janne Da Arc」という看板を取り払い、ただの個人になるという思いを持って、再スタートを切っています。
また、他のアーティストのサポートギターとしてライブに出演することもあります。一方で、you個人としてもライブイベントに出演もしています。
イベントの出演情報など最新情報はyouのTwitterで更新されています。
キーボードのkiyoの現在
kiyoはキーボーディストとして音楽活動を続けています。具体的には楽曲提供を行ったり、イベントなどに出演したりしています。
たとえば、kiyoは2019年に「Fragrant Drive(フラグラントドライブ)」というアイドルグループに楽曲を提供しています。
イベントの出演情報などはkiyoのTwitterでアナウンスされるので、そちらをチェックするのがいいでしょう。
ベースのka-yuの現在
ka-yuはバイカーとして活動したり、シルバーアクセサリーのデザイナーをやったりしています。
ka-yuは「HELLS ANGELS TOKYO(ヘルズエンジェルズトーキョー)」というグループに所属して、日本各地にバイク好きを増やしています。それと並行してバイクに関するイベントなどを開催しています。
また、ka-yuは2006年ごろにアクセサリーブランド「SOLID BEAT(ソリッドビート)」を立ち上げます。しかし、 2018年から新作は出されていないので今は力を入れていないのかもしれません。今はバイクの方が重要なのでしょう。
ドラムのshujiの現在
shujiはドラマーとして音楽活動を続けています。
しかしながら、何かバンドを組んで継続的な活動をしていません。サポートドラムとして他のバンドでドラムを叩いています。
たとえば、最近だと「wyse(ワイズ)」というバンドのサポートとしてドラムを叩いています。
どのライブに出演するかなど、最新情報を知りたい場合はshujiのTwitterをチェックするのがおすすめです。
Janne Da Arcの基本情報
Janne Da Arcとは
活動期間 | 1996年〜2019年(2007年に活動休止) |
---|---|
V経カテゴリ | ソフビ系 |
音楽性 | ロック、ポップメタル |
所属事務所 | 元アップライズ・プロダクト |
Janne Da Arc(ジャンヌダルク)は1996年に結成されて、2007年に活動休止、2019年に解散したバンドです。ファンからは「ジャンヌ」「JDA」の愛称で親しまれていました。
また、以前はアップライズ・プロダクトに所属して、レコード会社はエイベックス・エンタテインメントでした。所属レーベルはavex trax内のmotorodです。
すでに無くなったファンクラブの名前は「〜マドモアゼルなあなた達〜」でした。
バンド名の由来
「Janne Da Arc」は、マンガ「新デビルマン」の登場人物である、「ジャンヌ・ダルク」が由来になっています。yasuが「デビルマン」のマンガを読んでいて、思いつきました。また、当時は「すぐに変えるだろう」と思っていたといいます。
そのこともあって、「デビルマン」の作者である永井 豪(ながい ごう)は「Janne Da Arc 10th Anniversary INDIES COMPLETE BOX」のBOXのデザインを手がけています。
フランスの偉人にも、バンド名と同じ名前の女性がいますが、文字が異なりますちなみにこちらの偉人をテーマにした楽曲も制作していて、それが「-救世主 メシア-」です。
メンバー
- ボーカル:yasu
- ギター:you
- キーボード:kiyo
- ベース:ka-yu
- ドラム:shuji
1998年12月頃まではメンバーの名前の表記は大文字でしたが、以降は小文字になります。また、メンバー全員が関西出身です。大阪を拠点に当初は活動していました。
ボーカル:yasu
yasuはボーカルです。大阪府の枚方市出身で、生年月日は1975年1月27日で血液型はA型です。年齢は48歳、身長は165cmです。
Janne Da Arcのリーダーでありながら、ほぼ全ての作詞作曲をしています。本名は林 保徳(はやし やすのり)で、本名は作詞や作曲を行う時に使います。
また、Janne Da Arcが活動を休止した頃に開始したyasuのソロプロジェクトはAcid Black Cherry(アシッドブラックチェリー)です。
yasuは歌う時に、一般の男性が出せるギリギリの高音域を多用しています。ハイトーンで非常にクリアな歌声です。
また、現在、結婚や過去に整形したという情報はありません。ちなみに、yasuはもともと一重ですが、痩せて鍛えた結果、二重に変わっているため、整形しているように見えると言われています。
ギター:you
youはギター、コーラス担当です。兵庫県神戸市で、生年月日は1974年7月24日で年齢は49歳です。現在は所属事務所を「ゼスト」に移籍しており、ソロギタリストとして活動中です。
また、凄腕のギタリストとして評判が高く、速弾きやスウィープ、エイトフィンガー奏法、ギターでのスラップなど、テクニカルな技術を持っています。また、フェルナンデスからシグニチャーモデルも販売されています。
また、プライベートでは彼女や結婚に関する確かな情報はありません。
キーボード:kiyo
kiyoはキーボード担当です。ファンの間では、本名は清瀬 正信(きよせまさのぶ)と言われています。「きよせ」の一部を取って「kiyo」なのですね。
kiyoの生年月日は1974年6月27日で年齢は49歳です。身長は159cmです。
また、他のビジュアル系バンドにはキーボーディストが少ないので、それだけで希少価値は高くサウンド面で貢献しています。ジャズで培った技術力を活かして、ライブでもエネルギッシュなパフォーマンスをしています。
ちなみに、以前黙って脱退しようとした過去もあります。
ベース:ka-yu
ka-yuはベース担当です。生年月日は1975年1月21日で現在の年齢は48歳です。本名は松本和之(まつもとかずゆき)です。
現在はシルバーアクセのデザイン、「HELLS ANGELS TOKYO(ヘルズエンジェルズトーキョー)」というグループに属して、日本各地にバイク好きを増やしています。
また、作曲もしていて、「振り向けば…」「桜」など名曲を生み出しています。ライブではコーラスも担当しています。
ドラム:shuji
shujiはドラム担当です。生年月日は1974年11月21日で年齢は49歳で、本名は末松秀二(すえまつ しゅうじ)です。メンバー内でも老け顔なため、親しみを込めてファンからは「パパ」と呼ばれています。
現在はサポートドラマーとして活動しており、パワフルなドラミングはいまだに健在しています。ちなみにCoCo壱のカレー好きとして知られています。
Janne Da Arcの音楽性
音楽性
Janne Da Arcはyasuが基本的に作詞作曲しています。曲はロックからポップなものまで幅広く演奏しています。
また、なんといっても他のバンドにはないキーボードを活かした楽曲が特徴です。キーボードが入るとどうしてもポップなイメージが付きがちですが、Janne Da Arcはそれを上手にコントロールして幅広い音楽を奏でています。
たとえば、こちらの「ダイヤモンドヴァージン」という楽曲です。前奏はカッコいいキーボードから入って、サビでは大加速します。ポップよりのメタルという感じになっています。
「BLACK JACK」という楽曲です。ジャズの雰囲気があって、なおかつyasuが得意のエロティックな世界観を描いています。
ka-yuが作曲した「桜」です。ミドルテンポで切ない雰囲気があるバラード曲になっています。前奏あたりはL’Arc〜en〜Cielの雰囲気がありますね。
同じく、ka-yuが作曲した「振り向けば…」です。ビジュアル系の歴史に残る卒業ソングです。エロティックな世界観の楽曲とは反対で、青春の1ページを歌い上げています。
「シルビア」は恋愛をテーマにした楽曲ですが、中でもプロポーズについて歌っていて、曲調もアップテンポで明るくなれます。これも人気曲のひとつです。
作品の歌詞は「Uta-Net」などでご覧になってください。
影響
Janne Da Arcのメンバーが影響を受けたのは以下のアーティストです。
yasu | L’Arc〜en〜Ciel、DEAD ENDなど |
---|---|
you | MR.BIGなど |
kiyo | キース・エマーソンなど |
ka-yu | BOOWY、DEAD ENDなど |
shuji | X JAPAN、LOUDNESSなど |
バンド全体ではDEAD ENDに影響を受けたメンバーが多めです。しかし、楽曲を作っているのはyasuがメインなので、yasuが影響を受けたアーティストの音楽が反映されています。
ちなみにyasuが好きなL’Arc〜en〜Cielのボーカリスト、hydeもDEAD ENDから影響を受けています。
ビジュアル
Janne Da Arcは「ソフトビジュアル系」を略した「ソフビ系」と言われています。他のバンドに比べてメイクは薄く、大衆受けしやすい見た目です。しかし、このビジュアルに行き着くまで、紆余曲折があったことも確かです。
インディーズ時代のJanne Da Arcは、X JAPANのような派手なメイクをしていました。なぜかというと、Janne Da Arcの前身バンド「結膜炎」がX JAPANのコピーをしていたからです。
一方、yasuはインタビューで「ビジュアル系の格好をすれば、売れると思っていた」と告白しています。また、影響を受けたDEAD ENDがメイクをしていたのも関係しています。
ちなみに最初、youとkiyoはメイクをすることに抵抗感があって、yasuやka-yuと比べると薄いメイクで活動していました。しかし、youとkiyoはメジャーデビューする頃に1番メイクにこだわるようになっていました。
また、shujiは、メイクが好きでも嫌いでもありませんでした。
ライブパフォーマンス
Janne Da Arcは卓越した演奏スキルでライブのオーディエンスを沸かせています。
他のコテ系のバンドに比べてそこまでライブは激しくありません。しかし、きちんと煽るところは煽り、ヘドバンするところはヘドバンするという感じでメリハリを付けています。
すでに解散しているので、Janne Da Arcのライブは見ることはできませんが、ビジュアル系の中でも初心者が参戦しやすい雰囲気です。
こちらはJanne Da Arcのライブ映像です。
Janne Da Arcの活動
偉業
Janne Da Arcの偉業は90年と2000年代の両方で活躍したことです。
Janne Da Arcの結成は1996年で比較的早めで、1999年にメジャーデビューしているため、90年代の大半はインディーズとして過ごしました。インディーズ時代はダークな楽曲が多くて、コアなファンをがっちりと形成していました。
また、90年代に活躍したバンドは早々と解散するか、2000年代に入って人気が低迷して解散する流れがあると言われています。しかし、Janne Da Arcは両方で人気を維持していました。
2000年代は、メジャーデビューした後なのでポップな楽曲も多くなり、アニメのタイアップなども増えていきました。ビジュアル系全体が失速していく中で、一般の人にも知名度がある楽曲をリリースし続けます。
以後の後輩バンドにも影響を与えたと言ってもいいでしょう。
結成秘話
yasu、ka-yu、youの3人は同じ中学校の同級生でした。しかし、通っていた小学校は3人とも別でした。また、yasuとka-yuは中学入学してすぐに意気投合します。shujiは3人と別の中学校に通っていて、地元のスタジオで3人と知り合います。
中学3年生の時、「結膜炎」というバンドをyasu、ka-yu、youの3人で結成して、X JAPANのコピーをしていました。しかし、その後、ka-yuが脱退して、バンド名は「インターセクション」に変わります。
ちなみに「インターセクション」の由来は、X JAPANの「X」という文字から取っています。「X」がクロスしていて、十字路の「交差点」を英語にしたものが採用されました。
そして、ka-yu以外のメンバーが枚方西高校に進学します。その後、「インターセクション」が「オキャンディーズ」に名前が変わり、メンバーが高校2年生の頃にkiyoが加入します。
ちなみにyasuは、同じ学校のクラスメイトで別のバンドをやっていたkiyoを無理やり引き抜いてメンバーに加入させます。
そのため、yasuはkiyoがいたバンドのメンバーと殴り合いの喧嘩をしたというエピソードが残っています。
そして、メンバーが高校3年生の時に、バンド名を「Janne Da Arc」に改名します。その後、一時期yasuたちと別のバンドを組んでいたka-yuが再びJanne Da Arcに戻り、ベーシストとして活動するようになります。
その後、当時のドラムが脱退して、Janne Da Arcはドラマーのオーディションを行いました。しかし、「知らないドラマーとバンドをやるより、知っているshujiがいい」というka-yuの一言でshujiがドラマーに誘われます。
ちなみに、yasuとshujiは高校1年生の時に同じクラスで、shujiとkiyoも1年の頃から面識がありました。また、youは1年生の1学期で退学したのでkiyoとは知り合うことがなく、ka-yuもバンド加入までkiyoを知りませんでした。
また一方で、shujiは「一緒に夢見ようや」というka-yuの言葉に惹かれて「25歳までに結果が出なかったら辞める」という条件付きで1996年にJanne Da Arc加入を決めます。
それから現メンバーで1996年から活動をすることになります。
活動記録
結成から1999年まで:インディーズ時代
Janne Da Arcは1998年2月22日に初のワンマンライブを大阪の枚方BLOW DOWNで行い、3月13日に東京都の渋谷CYCLONEで初の東京都ワンマンライブをします。そして、4月17日に初のミニアルバム「Dearly」をリリースします。
それから東名阪でライブツアー、全国ツアーへとライブの規模を大きくしていきます。1998年12月5日に2ndミニアルバム「Resist」、1999年3月17日に3rdミニアルバム「JOKER」をリリースします。
その後、1999年4月27日に大阪メルパルクホールでインディーズラストライブをします。
1999年から2003年まで:メジャーデビュー期
Janne Da Arcは1999年5月19日にシングル「RED ZONE」でメジャーデビューします。1999年8月16日には渋谷公会堂でワンマンライブを成功させます。
2000年3月8日には1stアルバム「D・N・A」をリリースして、アルバムツアーのファイナルではNHKホールで公演を成功させます。そして、2001年1月3日には、日本武道館で公演します。
2001年2月28日に2ndアルバム「Z-HARD」をリリースします。この時には全国のZeppでも公演が行われます。
2001年7月25日から「出会い」「恋愛」「別れ」がテーマのシングル3部作(第1部「seed」、第2部「シルビア」、第3部「feel the wind」)をリリースします。
2002年1月23日に3rdアルバム「GAIA」をリリースして、4月14日のアルバムのツアーファイナル公演は東京国際フォーラム・ホールAで行います。8月に発表した12thシングル「Shining ray」で初めて週間オリコンチャートでトップ10入りします。
また、同年の9月7日には日本武道館で単発公演を行います。
2003年2月13日に4thアルバム「ANOTHER STORY」、9月18日に初のベストアルバムをリリースして、自身最長の32会場32公演を行います。また、「ANOTHER STORY」の発売と同時にボーカルyasuが書いた小説「ANOTHER STORY」を発売します。
2003年8月と10月には男性限定ライブ「男尻Night(ダンジリナイト)」も行います。11月18日には廃校となる大阪府立枚方西高等学校でシークレットライブを行います。
2016年から現在:数々の新しい挑戦
2004年5月、枚方西高等学校で行ったシークレットライブを描いた映画「HIRAKATA」が公開されます。
7月7日に5thアルバム「ARCADIA」をリリースします。アルバムのツアー最終公演では、日本武道館で公演を行います。そして、2005年3月27日に初のホールライブを大阪城ホールで行います。
2005年4月にテレビアニメ「ブラック・ジャック」のオープニングテーマとなった23thシングル「月光花」が累計セールス30万枚を記録します。
6月15日に6thアルバム「JOKER」をリリースして、9月14日に再び日本武道館で公演を行います。そして、2006年に結成10周年を迎えて、東名阪でライブハウスツアーを行います。
そして、5月20日に埼玉スーパーアリーナでスペシャルライブを行い、このライブを実質最後に活動休止します。
10月に、キーボードのkiyoがブログ「kiyo風呂」を始めます。このブログは月間で100万アクセスを超えるようになり、後に書籍化されます。
2006年から現在:活動休止から解散
2007年1月26日にソロ活動の作品発表のアナウンスがあります。2月21日にシングルコレクションアルバム「SINGLES 2」をリリースします。
2009年3月25日にライブDVD「tour 2005 “JOKER”」、5月19日にメジャーデビュー10周年を記念した作品「Janne Da Arc MAJOR DEBUT 10th ANNIVERSARY COMPLETE BOX」を発売します。
2015年10月16日に有料動画配信サイトにて、全ミュージックビデオの配信が開始されます。2018年10月に会報とモバイルからka-yu関連のコンテンツの更新がなくなります。同時期にファンクラブの返金対応も始まります。
2019年3月31日にka-yuが脱退して所属事務所を退社します。4月1日に公式ウェブサイト上でka-yuの脱退、及びJanne Da Arcの解散が発表されます。
Janne Da Arcの音源
人気曲
Janne Da Arcには名曲がたくさんありますが、本サイトでは独自の人気曲調査を行いました。その中からトップ3を見てみましょう。
第1位:月光花
「月光花」は2005年1月19日発売の23rdシングルです。アニメ「ブラックジャック」の主題歌にもなって、大人気になった曲ですね。30万枚というJanne Da Arc最大の売り上げを記録しました。
また、この曲でミュージックステーションにJanne Da Arcは出演した記念すべき曲です。
2005年6月15日発売の6thアルバム「JOKER」に収録されています。
第2位:DOLLS
「DOLLS」は2004年5月19日発売の19thシングルです。メジャーデビュー5周年記念として3週連続リリースシングルの第1弾として発売されました。さらに価格は「サンキュー」という意味を込めて390円でした。切なくて綺麗な雰囲気の楽曲です。
2004年7月7日発売の5thアルバム「ARCADIA」に収録されています。
第2位(同率):ヴァンパイア
「ヴァンパイア」は2003年2月13日発売の4thアルバム「ANOTHER STORY」に収録されている曲です。ライブでもよく演奏される激しめの曲ですが、Janne Da Arcらしい華のある感じもします。
Janne Da Arcのエピソード
yasuとka-yuの仲
yasuとka-yuの仲はよくないと言われています。ファンの方の情報によると、yasuとka-yuにバンドに対する温度差があり、yasuの方が作品やバンドに対してより真摯な部分があったようです。
しかし、2007年の活動休止以前は仲が良さそうな雰囲気もあったのも事実です。
ふたりの仲がおかしくなったのは、活動休止前後と言われています。「活動休止になってお互いに不信感が募った」とあるファンは分析していました。
確証はないのですが、長年バンドをやっていたら溝が生まれることもあるでしょう。時を経て和解することもあります。私たちはその時を待っていましょう。
メンバーの呼び方
Janne Da Arcのファンは「Janner(ジャンナー)」と呼ばれています。しかし、以前は違いました。インディーズ時代は「Darcar(ダルカー)」で、デビュー後に今の呼び方になりました。この変化にメンバーも最初は馴染めかったといいます。
有名人との交流
お笑いコンビのカンニングは、Janne Da Arcの応援リーダーとして活動しています。Janne Da Arcがカンニングのファンであり、アルバム「ARCADIA」CMで「キレてほしい」とカンニングに出演を依頼し、交流が始まりました。
キーボードのkiyoはブログで、2006年12月20日に亡くなったカンニングの中島忠幸(なかしま ただゆき)について追悼しました。
また、「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで」に「キスおばちゃん」として出演している浅見千代子(あさみ ちよこ)はシングル「月光花」「ダイヤモンドヴァージン」、アルバム「JOKER」のCMに出演しています。
メンバーがファンだったことから出演が決まりました。
まとめ
今回はJanne Da Arcについてご紹介しました。謎の多いビジュアル系ですが、バンドの経歴や作品を通して歴史を知ると、もっとJanne Da Arcが好きになりますね。
ぜひ、参考にしてみてください。
ディスコグラフィー
シングル
発売順 | 発売日 | タイトル |
---|---|---|
1st | 1999年5月19日 | RED ZONE |
2nd | 1999年9月22日 | Lunatic Gate |
3rd | 2000年1月13日 | EDEN〜君がいない〜 |
4th | 2000年4月12日 | Heaven’s Place/Vanity |
5th | 2000年7月26日 | will〜地図にない場所〜 |
6th | 2000年11月8日 | Mysterious |
7th | 2001年1月31日 | Dry? |
8th | 2001年4月25日 | NEO VENUS |
9th | 2001年7月25日 | seed |
10th | 2001年10月24日 | シルビア |
11th | 2001年12月12日 | feel the wind |
12th | 2002年8月7日 | Shining ray |
13th | 2002年11月20日 | マリアの爪痕 |
14th | 2003年1月16日 | 霞ゆく空背にして |
15th | 2003年5月8日 | Rainy〜愛の調べ〜 |
16th | 2003年8月20日 | 餓えた太陽 |
17th | 2004年3月24日 | FREEDOM |
18th | 2004年4月7日 | Kiss Me |
19th | 2004年5月19日 | DOLLS |
20th | 2004年5月26日 | ROMANC∃ |
21st | 2004年6月2日 | BLACK JACK |
22nd | 2004年11月17日 | Love is Here |
23rd | 2005年1月19日 | 月光花 |
24th | 2005年5月18日 | ダイヤモンドヴァージン |
25th | 2006年2月8日 | 振り向けば…/Destination |
26th | 2006年5月10日 | HEAVEN/メビウス |
アルバム
発売順 | 発売日 | タイトル |
---|---|---|
1st | 2000年3月8日 | D・N・A |
2nd | 2001年2月28日 | Z-HARD |
3rd | 2002年1月23日 | GAIA |
4th | 2003年2月13日 | ANOTHER STORY |
5th | 2004年7月7日 | ARCADIA |
6th | 2005年6月15日 | JOKER |
ミニアルバム
発売順 | 発売日 | タイトル |
---|---|---|
1st | 1998年4月17日 | Dearly |
2nd | 1998年12月5日 | Resist |
3rd | 1999年3月17日 | CHAOS MODE |
ベストアルバム
発売順 | 発売日 | タイトル |
---|---|---|
1st | 2003年9月18日 | ANOTHER SINGLES |
2nd | 2003年9月18日 | SINGLES |
3rd | 2007年2月21日 | SINGLES 2 |
ボックスセット
発売順 | 発売日 | タイトル |
---|---|---|
1st | 2006年3月15日 | Janne Da Arc 10th Anniversary INDIES COMPLETE BOX |
2nd | 2009年5月19日 | Janne Da Arc MAJOR DEBUT 10th ANNIVERSARY COMPLETE BOX |
映像作品
発売順 | 発売日 | タイトル |
---|---|---|
1st | 2000年9月27日 | 1999 TOUR “CHAOS MODE” |
2nd | 2000年9月27日 | 5 STORIES |
3rd | 2001年3月28日 | FATE or FORTUNE-Live at BUDOKAN- |
4th | 2002年3月13日 | SIX CLIPS |
5th | 2002年12月26日 | 100th Memorial Live LIVE INFINITY 2002 at 武道館 |
6th | 2003年3月19日 | ANOTHER STORY CLIPS |
7th | 2003年11月12日 | SINGLE CLIPS |
8th | 2003年12月25日 | 男尻Night |
9th | 2004年9月29日 | ARCADIA CLIPS |
10th | 2005年2月16日 | HIRAKATA |
11th | 2005年7月27日 | Live 2005 “Dearly” at Osaka-jo Hall 03.27 |
12th | 2006年9月20日 | 10th Anniversary Special Live -OSAKA NANBA ROCKETS 2006.5.9- |
13th | 2006年9月20日 | Live 2006 DEAD or ALIVE -SAITAMA SUPER ARENA 05.20- |
14th | 2009年3月25日 | tour 2005 “JOKER” |
タイアップ
発売順 | タイトル | タイアップ |
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1999年 | RED ZONE | テレビ朝日系列バラエティ番組「ネプいっ!」 エンディングテーマ |
Lunatic Gate | テレビ朝日系列討論バラエティ番組 「ビートたけしのTVタックル」 エンディングテーマ | |
2000年 | EDEN〜君がいない〜 | テレビ東京系列バラエティ番組 「スキヤキ!!ロンドンブーツ大作戦」 エンディングテーマ |
Heaven’s Place | テレビ東京系列リアリティ番組「ASAYAN」 エンディングテーマ アイディアファクトリー製PlayStation 2専用 ゲームソフト「スカイサーファー」エンディングテーマ | |
Vanity | アイディアファクトリー製PlayStation 2専用 ゲームソフト「スカイサーファー」オープニングテーマ | |
will〜地図にない場所〜 | テレビ朝日系列木曜ドラマ 「つぐみへ…〜小さな命を忘れない〜」主題歌 | |
Mysterious | テレビ朝日系列アニメ「サイファイハリー」 オープニングテーマ | |
2001年 | NEO VENUS | カプコン製ゲームボーイアドバンス専用ゲームソフト 「バトルネットワーク ロックマンエグゼ」CMソング |
seed | TBS系列バラエティ番組「月極ワンダフル」 2001年8月度テーマ曲 | |
シルビア | テレビ朝日系列バラエティ番組「内村プロデュース」 2001年10月〜12月度エンディングテーマ | |
feel the wind | カプコン製ゲームボーイアドバンス専用ゲームソフト 「バトルネットワーク ロックマンエグゼ2」CMソング TBS系列バラエティ番組「ダウンタウン・セブン」 エンディングテーマ | |
2002年 | Shining ray | フジテレビ系列アニメ「ONE PIECE」 第8期エンディングテーマ |
2003年 | 霞ゆく空背にして | テレビ東京系列アニメ「アソボット戦記五九」 第2期エンディングテーマ |
2004年 | Kiss Me | 日本テレビ系列 スポーツニュース「スポーツうるぐす」 2004年4,5月度テーマソング |
Love is Here | OVA「スキージャンプ・ペア2」 エンディングテーマ | |
2005年 | 月光花 | 日本テレビ系列アニメ「ブラック・ジャック」 前期オープニングテーマ |
WING | テレビ東京系列ドラマ「GO!GO!HEAVEN!」 エンディングテーマ | |
2006年 | 振り向けば… | ギャガ配給映画「HIRAKATA」主題歌 |
Destination | タイトー製Xbox 360専用ゲームソフト 「Over G」テーマソング | |
HEAVEN | ドワンゴ「いろメロミックス」CMソング エイベックス・デジタル「ミュウモ」CMソング | |
メビウス | テレビ東京系列アニメ「妖逆門」 前期オープニングテーマ |
ライブ
日程 | タイトル | 会場など |
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1998年2月22日 | REVOLUTION 1st STAGE | 枚方BLOW DOWN (大阪府) 初ワンマン |
1998年3月13日 | REVOLUTION 2nd STAGE | 渋谷CYCLONE (東京都) 初の東京都でのワンマン。 |
1998年3月18日 | REVOLUTION 3rd STAGE | 京都MUSE (京都府) 初の京都府でのワンマン。 |
1998年4月11日 〜9月30日 | 【Dearly】発売記念 | 5会場5公演 04/11 大阪MUSE (大阪府) 1stミニアルバム「Dearly」を引っ提げた、 |
1998年12月15日 〜12月29日 | NEW FIELD OF CREATION TOUR | 3会場3公演 12/15 渋谷ON AIR EAST (東京都) 2ndミニアルバム「Resist」を引っ提げた、 |
1999年1月27日 〜2月22日 | NECESSITY FOR NEW FIELD OF CREATION TOUR | 8会場8公演 01/27 松下IMPホール (大阪府) 2ndミニアルバム「Resist」を引っ提げた、 |
1999年4月7日 〜4月27日 | 1999 TOUR CHAOS MODE | 9会場9公演 04/07 松山サロンキティ (愛媛県) 3rdミニアルバム「CHAOS MODE」を引っ提げた、 |
1999年8月5日 〜8月16日 | seal of zone | 2会場2公演 08/05 大阪厚生年金会館・大ホール (大阪府) 1stシングル「RED ZONE」を引っ提げた、 |
1999年10月22日 〜12月7日 | tour “reveal the truth” -skirmish- | 22会場22公演 10/22 京都MUSE (京都府) |
1999年12月18日 〜12月30日 | tour “reveal the truth” -AREA[an aggregate]- | 6会場6公演 12/18 新潟フェイズ (新潟県) |
2000年3月19日 〜4月23日 | 2000 tour “Different Native Answers” | 8会場8公演 03/19 大阪厚生年金会館・大ホール (大阪府) 1stアルバム「D・N・A」を引っ提げて敢行された、 |
2000年9月7日 〜9月16日 | 2000 tour “ANOTHER NEO” | 3会場3公演 09/07 グランキューブ大阪・メインホール (大阪府) |
2000年12月11日 〜2001年1月3日 | tour “FATE or FORTUNE” | 10会場10公演 12/11 浜松フォルテホール (静岡県) |
2001年4月25日 〜5月19日 | 2001 tour “Z-HARD” | 8会場12公演 04/25 Zepp Osaka (大阪府) 2ndアルバム「Z-HARD」を引っ提げた |
2002年4月1日 〜4月14日 | 2002 tour “GAIA” | 8会場8公演 04/01 仙台市青年文化センター・シアターホール (宮城県) 3rdアルバム「GAIA」を引っ提げた |
2002年9月7日 | LIVE INFINITY 2002 | 日本武道館 (東京都) ワンマンライブ通算100回目を記念して |
2002年12月30日 〜2003年5月12日 | tour 2003 “ANOTHER STORY” | 11会場11公演 12/30 枚方BLOW DOWN (大阪府) 4thアルバム「ANOTHER STORY」を引っ提げたツアー。 |
2003年7月16日 〜10月2日 | 2003 tour “DAZE” | 32会場32公演 07/16 四日市CLUB CHAOS (三重県) 1stベストアルバム「SINGLES」を引っ提げたツアー。 |
2003年8月21日 〜10月4日 | 男尻Night | 2会場2公演 08/21 大阪BIG CAT (大阪府) 男性限定ライブ。 |
2004年9月10日 〜9月29日 | tour 2004 ARCADIA | 9会場9公演 09/10 神戸国際会館・こくさいホール (兵庫県) 5thアルバム「ARCADIA」を引っ提げた |
2005年3月27日 | Live 2005 “Dearly” | – 03/27 大阪城ホール (大阪府) 初のアリーナライブ。 |
2005年8月1日 〜9月16日 | tour 2005 “JOKER” | 19会場19公演 08/01 市川市文化会館・大ホール (千葉県) 6thアルバム「JOKER」を引っ提げたホールツアー。 |
2006年5月9日 〜5月16日 | 10th Anniversary Special Live | 3会場3公演 05/09 難波ROCKETS (大阪府) 結成10周年を記念したツアー。 |
2006年5月20日 | Live 2006 “DEAD or ALIVE” | さいたまスーパーアリーナ (埼玉県) 結成10周年を記念して開催された、 |